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読売新聞オンライン「猫学(ニャンコロジー)第3回ねこ路地散歩【和の情緒あふれる「神楽坂」…かの文豪ゆかりの街にはやっぱりネコがよく似合う】」の記事に、日本画家:髙橋友美の紹介をしていただきました。ぜひご覧くださいませ。

日本画の世界へようこそ!おすすめ美術館で巡る全国名作の旅【作品解説&アクセス徹底紹介】

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日本画は、繊細な筆使いや花鳥風月等の自然、人物などをテーマとした題材で知られ、多くの人々を魅了してきました。

日本各地には、この日本画の魅力を伝える美術館が点在しています。

今回は、その中から特におすすめの美術館をピックアップし、ご紹介致します。

日本画の名作との出会いに心が躍ります。

目次

皇居三の丸尚蔵館

皇居三の丸尚蔵館 HPより

皇居三の丸尚蔵館は、日本の長い歴史と深い文化遺産を象徴する場所です。

2023年(令和5)年に、「三の丸尚蔵館」から「皇居三の丸尚蔵館」に名称を改められました。

1989(平成元)年、上皇陛下及び香淳皇后が昭和天皇まで皇室に伝わる約6,000点の絵画、書、工芸品を国に寄贈しました。
この歴史的な寄贈を受け、これらの貴重な品々を収蔵し、一般に公開するために「三の丸尚蔵館」が設立されました。

「三の丸尚蔵館」は、1992(平成4)年に竣工、1993(平成5)年から一般公開されました。

2019年(平成31年/令和元年)度から、「三の丸尚蔵館」の収蔵庫と展示室を拡張するために増改築工事が開始されました。

リニューアルについて
設計:宮内庁管理部工務課、(株)日建設計
施工:清水建設(株)

2023年(令和5)年、宮内庁から国立文化財機構に移管され、同機構を所管する文化庁が収蔵品の管理を行う体制に改められ、第I期棟開館に合わせて、施設の正式名称は「皇居三の丸尚蔵館」に改められました。

2026(令和8)年、第II期棟の完成及び全館開館を目指しています。

  • 皇居三の丸尚蔵館は、皇室によって代々受け継がれ、国内外から集められてきた貴重なこれらの美術品を恒久的に保存し、伝えていくために、温湿度管理が可能な収蔵庫を備えています。
  • また、展示室を通じてこれらの作品を一般に公開し、専門的な調査研究を行い、修理や保存措置を講じながら、その成果を広く公開していくことで、日本の文化遺産を守り、育てています。

皇室は、奈良時代から現代に至るまで、美術文化の保護や文化振興のための活動を続けてきました。

東大寺毘盧舎那仏に奉納された正倉院宝物や、平安時代の後白河法皇の蓮華王院宝蔵など、歴史を通じて集められた美術品は、皇室の文化的遺産の豊かさを物語っています。

皇居三の丸尚蔵館は、皇室と日本の美術文化との深い結びつきを象徴する場所であり、訪れるすべての人に日本の歴史と文化の豊かさを伝えています。

皇居三の丸尚蔵館は、東京都千代田区の皇居東御苑内にあります。

コレクション

収蔵品:テーマ 皇居三の丸尚蔵館 HPより


皇居三の丸尚蔵館の収蔵品は、日本の美術の歴史を網羅する広範なコレクションを誇ります。

皇居三の丸尚蔵館の収蔵品は、三の丸尚蔵館公開以降も、様々な皇族家からの寄贈品が加わり、コレクションはさらに充実しています。

これらの美術品は、皇室が長年にわたり収集し、そして今日に至るまで大切に保護してきた貴重な宝物です。

区 分詳 細
近世以前各時代の書、絵画、工芸等の名品、優れた美術品。
近 代明治時代以降、御慶事祝献上品、博覧会・展覧会における御買上げや制作依頼等、
皇室へ納められた美術品。
海 外明治時代初頭当時各国元首の肖像画、アール・デコ期工芸品等、近代欧州美術品。
皇室に、親善の証として贈られた絵画、工芸品コレクション等。

皇居三の丸尚蔵館 HPより

作品紹介

唐獅子図屏風 (からじしずびょうぶ)左隻《狩野 常信》,右隻《狩野 永徳》

「唐獅子図屏風」は、狩野永徳と狩野常信、二人の狩野派の巨匠によって異なる時代に描かれた、極めて印象的な作品です。

今日、これらは一対として伝わっており、明治21年(1888年)に毛利元徳から献上されたと記録されています。

唐獅子図屏風 左隻《狩野 常信》唐獅子図屏風 右隻《狩野 永徳》
狩野常信が、右隻に合わせて制作しました。

狩野常信による左隻は、右隻の古典的な美しさを受け継ぎながらも、彼自身の芸術性を巧みに織り交ぜています。

こちらの獅子は、左隻の獅子を追いかける仔獅子のように見えます。

また、眼は丸く可愛らしさのある表情で、立髪は白く、背景には滝と川波が新たに描かれています。

狩野派が世代を超えてその技術と芸術を受け継いでいく過程を物語っており、日本の屏風絵画の歴史においても貴重な一部となっています。
力強い筆法で描かれた雌雄の獅子が岩間を闊歩する様は、迫力と勇壮さを兼ね備えています。

この屏風の雄大さと、緻密に描かれた獅子の表情や筋肉の表現や様式から、狩野永徳自身の手によるものと疑いようがありません。

金箔の背景にで大きな岩間が描かれ、濃い色の立髪の2頭の雌雄の獅子が白銀で表してあるかのように描かれ、この絵を豪奢な作品にしています。

桃山画壇の華やかな時代を反映した作品であり、日本美術史上の重要な作品です。

この両作品を通じて、狩野派の優れた表現力と、時代を超えた美術への姿勢を感じることができます。

狩野 永徳かのう えいとく)について

天文12年1月13日(1543年2月16日) – 天正18年9月14日(1590年10月12日)

京都出身
狩野松栄の長男、狩野元信の孫
安土桃山時代の絵師
室町時代から江戸時代まで日本画壇の中心にあった狩野派の代表的な画人であり、日本美術史上においても著名な画人の1人です。

狩野派の棟梁として織田信長、豊臣秀吉という天下人に仕え安土城、聚楽第、大坂城などの障壁画を制作しました。
これらの代表的な作品は建物とともに滅びてしまったものが多く、真筆とされる現存作品は比較的少ないです。

永徳といえば『唐獅子図』や『檜図』のような雄大なスケールの豪快な作品(大画)がよく知られるが、細部を緻密に描写した「細画」もよく描いたとされます(『本朝画史』)。

現存する代表作の1つである上杉本『洛中洛外図』は、彼が細密描写に秀でていたことを示しています。

狩野 常信かのう つねのぶ)について

寛永13年3月13日(1636年4月18日) – 正徳3年1月27日(1713年2月21日)

京都出身
江戸時代前期の画家で、江戸幕府に仕えた狩野派(江戸狩野)の御用絵師
木挽町狩野家2代目

父は狩野尚信、母は狩野甚之丞の娘。
妻は狩野安信の娘。子に長男周信(木挽町狩野家3代)、次男岑信(浜町狩野家初代)、三男甫信(浜町狩野家2代)、娘(狩野探信室)

慶安3年(1650年)4月に父の尚信が没した後、15歳で狩野派(木挽町狩野家)を継ぎました。

画風は探幽に学んだためか、探幽のそれに近いです。

探幽様式の絵師の殆どは探幽の描き方を上辺だけなぞり、余韻がなく平板な絵が多いのですが、常信は探幽の意図を理解し再現できる画力をもった数少ない絵師です。

ただし両者を比較すると、常信には探幽のような幽遠さは無いが、モチーフの位置関係の整理・合理化、装飾性の増加と細密化が指摘でき、より明快で華やかな印象な画面となっています。

「唐獅子図屏風」の前に立った時、その迫力にただ感嘆するばかりでした。

この作品が、曾祖父と曾孫という二人の絵師によって時代を超えて一対として完成されたことは、興味深く、更に家族の絆や歴史、伝統の継承を感じさせます。

日出処日本(ひいづるところにほん)《横山 大観

「日出処日本」と題されたこの作品は、1940年に初代神武天皇の即位2600年を祝う国家的な節目の年に描かれました。

全国が祝賀ムードに包まれる中、横山大観は「紀元二千六百年奉祝美術展覧会」に、この圧巻の巨大な日本画を出品しました。

大観は富士山を深く愛し、その生涯で約2,000点もの富士山を描いたと言われていますが、本作はその中でも特に規模の大きな代表作です。

尊皇家として知られる大観にとって、この作品は初めから皇室へ献上する意図を持って制作されたものであり、展覧会後には昭和天皇へ、そしてその縮小版が香淳皇后へ献上されました。

大観の筆は、大画面に向かって力強く、そして魂を込めて動いたことが伝わってきます。

  • 朝日に照らされて輝く霊峰富士を、水墨画の技法を駆使して描いています。
  • 背景には燃えるような真紅の太陽が昇り、日本の象徴としての富士山の威厳と美しさを力強く表現しています。
  • 薄い金色の空、朝靄の中から朝日の逆光で黒く浮かび上がり、頭頂部は雪で白く輝く富士山が神々しいです。

本作とほぼ同時期に制作された「霊峰富士」は、姉妹作として読売新聞社の依頼で描かれ、現在も読売新聞東京本社にて人々を迎える存在となっています。

「日出処日本」は、日本画を代表する傑作の一つとして、横山大観の芸術的遺産と、その時代の国家的な情勢を色濃く反映した歴史的な一幅です。

横山 大観(よこやま たいかん)について

旧字体:橫山 大觀

1868(慶応4 / 明治元)年- 1958(昭和33)年2月26日)

本名は横山 秀麿(よこやま ひでまろ) 旧姓は酒井(さかい) 幼名は秀松(ひでまつ)

常陸国水戸(現在の茨城県水戸市下市)出身

水戸藩士・酒井捨彦の長男
20歳の時に、母方の親戚である横山家を継ぎます。

近代日本画壇の巨匠であり、今日「朦朧体(もうろうたい)」と呼ばれる、線描を抑えた独特の没線描法を確立しました。

帝国美術院会員 第1回文化勲章受章 
死後、正三位勲一等旭日大綬章を追贈
茨城県名誉県民 東京都台東区名誉区民

雄大で美しい姿を表す富士山です。

霞から浮かび上がるように力強く壮大な姿を表し、頂上付近に輝くように白く雪化粧した富士山、背景の眩しい空と赤い朝日は、日本の象徴であり理想の姿です。

アクセス

住 所:〒100-0001 東京都千代田区千代田1−8 皇居東御苑 内

泉屋博古館東京<六本木>

泉屋博古館東京 HPより

泉屋博古館東京(せんおくはくこかんとうきょう)<六本木>は、2002(平成14)年10月に、泉屋博古館(京都・鹿ヶ谷)の分館「泉屋博古館分館」として、旧住友家麻布別邸跡地に開設しました。

2022(令和4)年3月、泉屋博古館分館は改修工事を経て「泉屋博古館東京」に改称、リニューアルオープンしました。

工事設計・監理施工_建築工事
2002
(平成14)
泉ガーデン再開発
「泉屋博古館分館」
(株)日建設計
(設計:櫻井 潔氏)
住友・銭高・大成
特定建設工事共同企業体
2022
(令和4)
改修工事
「泉屋博古館東京」
(株)日建設計
(設計:高野 恭輔氏、高橋 淳氏)
三井住友建設(株)

泉屋博古館東京は、美術愛好家はもちろんのこと、日本文化に興味を持つすべての人々にとって、貴重な体験を提供する施設となっています。

  • 「泉屋博古館」は、住友コレクションを中心に保存・研究・展示している美術館です。
  • 京都と東京の二つの都市に位置するこの美術館は、各地の文化的特性を活かしながら展覧会を開催しています。

泉屋博古館東京は、東京都港区六本木泉ガーデン敷地内にあります。

泉屋博古館東京には、ハリオカフェが併設しています。
また、正面入口の向かいには、スウェーデン大使館があります。

六本木一丁目駅直結「泉ガーデン/...
泉ガーデン/六本木グランドタワー - 六本木一丁目駅直結 泉ガーデン/六本木グランドタワーは六本木一丁目駅に直結しています。オフィス、住宅、貸会議室、レストランなど様々な施設があります

コレクション

泉屋博古館東京は、住友コレクションを中心に美術品の保存・研究・公開を目的とする美術館です。

  • 3,500件を超える作品(国宝2件、重要文化財19件、重要美術品60件を含む)を収蔵しています。
  • その膨大なコレクションには、中国古代の青銅器から始まり、中国及び日本の書画、西洋絵画、そして近代の陶磁器に至るまで多岐にわたる品目が含まれています。
  • さらに、日本独自の文化である茶道具や文房具、能面・能装束といった、日本の伝統芸能に関連する品々も所蔵しています。

京都と東京の二つの都市各地の文化的特性を活かしながら展覧会を開催し、訪れる人々に住友コレクションの深い魅力を伝え続けています。

住友コレクションについて
住友 春翠
(すみとも しゅんすい)

住友 春翠によって、明治時代から大正時代にかけて集められた住友コレクションは、美術品の保存と振興を目的とした豊かなコレクションです。

春翠は住友家の15代当主であり、銅山経営を始めとする多岐にわたる事業の拡大と近代化を推進した一方で、芸術文化にも深い関心を示しました。

彼は中国文人に憧れ、茶の湯や能楽を嗜むなどして日本の古典芸能を愛好し、自宅には季節を感じさせる日本画を飾りました。

また、洋画家たちを支援し、先進的な洋式の生活を楽しんだことも知られています。

コレクションの源泉

住友コレクションは、特に青銅器を中心に国内外から高く評価されており、1960年には500点を超える青銅器や鏡鑑を含む古銅器類が住友家から寄贈され、これが現在の泉屋博古館の基礎となりました。

春翠はこれらの美術品を秘蔵するだけでなく、さまざまな展覧会を通じて公開し、広く認知度を高める努力をしました。

更に「泉屋清賞(せんおくせいしょう)」「増訂泉屋清賞」という豪華図録の刊行を通じて、研究分野にも大きく寄与しました。

多様なコレクション

住友コレクションの多様性は、春翠だけでなくその後継者たちによっても受け継がれています。

春翠の長男、寛一は大正時代に中国絵画や日本近代洋画を集め、16代当主・友成は20世紀を代表する洋画や同時代の日本人画家の作品を収集しました。

これらのコレクションは、それぞれの時代とジャンルを超えて、住友家の美意識を映し出しています。

引用:泉屋博古館東京 HPより

作品紹介

深山猛虎図(しんざんもうこず)《橋本 雅邦(はしもと がほう)
深山猛虎図《橋本 雅邦》1890(明治23)年頃
60.4 × 125.2(㎝) 紙本墨画淡彩
泉屋博古館東京蔵 HPより

橋本雅邦による「深山猛虎図」は、1890年頃に描かれた、紙本墨画淡彩の作品です。

深い山間において、風に舞う木の葉と勢いよく落ちる滝を背景に、二頭の虎が静かに中空を見つめる様子が描かれています。

この絵は、自然の荘厳さと静謐な雰囲気を併せ持ち、見る者に深い印象を与えると同時に、日本画における伝統的な表現技法と革新的な試みが融合している点で特筆されます。

  • 墨の濃淡、絶妙なグラデーションを通じて表現された作品です。
  • 2頭の虎は細かく描き込まれています。そこに視線が集中するように明暗や濃淡、構図に工夫をされています。
  • 背景において、墨の濃淡を抑えて生み出された空間の広がりを感じられるよう描かれています。

光と空間表現における改良が見られるフェノロサの指導を受けた鑑画会時代の意欲的な作品です。

泉屋博古館東京に所蔵されているこの作品は、日本の近代美術史において重要な地位を占めています。

橋本 雅邦(はしもと がほう)について

1883(明治16)~1945(昭和20)年

兵庫県神戸市生まれ

東京で活動を始めた後、京都に移り、大正から昭和期にかけての京都画壇で活躍しました。

四条派の写実的な技術を取り入れつつ、新南画や新古典と称される独自のスタイルで数多くの作品を発表し、その時代の画壇で中心的な存在となりました。

帝国美術院会員や帝室技芸員としての地位を得るほか、フランスからはシュバリエドレジョン・ドヌール勲章を授与されるなど、国内外で高く評価されました。

墨の濃淡と筆使いでこれだけの表現ができることに感嘆します。
画中の虎の力強さと背景の自然が生き生きとしています。

柳桜図(やなぎさくらず)木島 櫻谷(このしま おうこく)

木島 櫻谷の「柳桜図」は、絹本金地による色彩豊かな作品です。

柳の新緑と山桜の満開の美しさを、金地の背景に映えるように描いており、円山四条派の写生技法と琳派の装飾性が見事に融合されています。

  • この屏風は、春の息吹を豪華で繊細な表現で捉えており、鑑賞者をその場にいるかのような感覚に導きます。
  • 白く咲き誇る満開の山桜と柳の新緑が鮮やかです。
  • 金地の使用は、画面に深みと豊かな光沢を与え、植物の生命力と自然の美を際立たせています。
  • 画家がこの作品に込めた、季節の変わり目の瞬間の移ろいを、見る者に感じさせる力があります。

この作品は、住友家からの依頼によって描かれた四季をテーマにした連作屏風の一部で、大阪にある茶臼山本邸で来賓を迎える際に飾られました。

「柳桜図」は、日本画の伝統技法を現代に伝える貴重な資産であり、美術史上重要な位置を占める作品です。

画面一杯に踊るように咲き誇る満開の白い山桜と柳の柔らかい新緑が金地に鮮やかに映えています。

溢れる春の喜びを表しているようです。

木島 櫻谷(このしま おうこく)について

1877(明治10)年3月6日 – 1938(昭和13)年11月3日

京都出身

花鳥画を中心とした多岐にわたる画題で知られる画家です。

明治時代の京都三条室町の商家に生まれ、若干16歳で当時の京都で人気を博していた花鳥画家・今尾景年(1845−1924年)のもとで絵を学びました。

師の影響を受けつつも、木島櫻谷は自らの画風を確立し、動物画、人物画、歴史画に至るまで、その才能を広く展開していきました。

明治40年(1907年)からは文部省美術展覧会(文展)に参加し、6年連続で上位に入賞するなどの実績を残しました。

文展が後に帝国美術院展覧会(帝展)となった後も、彼は審査員として活躍を続け、日本美術界におけるその地位を不動のものとしました。

木島櫻谷は、細やかな筆使いと緻密な表現で知られ、日本画壇において重要な足跡を残した画家の一人です。

アクセス

住 所:〒106-0032 東京都港区六本木1丁目5−1

MOA美術館

MOA美術館 HPより

MOA(エムオーエー)美術館は、1982(昭和57)年1月11日に開館しました。
前身は、1957(昭和32)年1月1日に開館した熱海美術館です。

現代的な空間の中で日本の伝統素材を用いた展示を通じて、新たな美術体験を提供することに取り組んでいます。

2017(平成29)年に、展示空間と設備が刷新されて新装開館しました。

ロビーエリア、展示スペースの設計は、「新素材研究所」(主宰_現代美術作家:杉本博司氏、建築家:榊田倫之氏)が手掛けました。

美術館の活動

MOA美術館は、日本文化の情報発信の場として、観光事業と美術・工芸の発展を推進することを目指しています。

スクールプログラム

映像アーカイブ/美の対談

児童作品展

MOA美術館光輪花クラブ

重要文化財「樵夫蒔絵硯箱」(伝本阿弥光悦)の保存修理事業

MOA美術館 HPより

行政とのパートナーシップを基にを持った施設としての役割を果たしています。

熱海市及びその近隣地域で国際観光文化都市を目指しており、その一つとして地域交流型の美術館になることを目標にしています。

  • 学校と連携して、美による情操教育を積極的に推進されています。
  • 友の会」や寄付金など多くの支援により、美を通じて豊かな心を育む様々な取組みが行われています。
  • 能楽お茶会などのイベントが定期的に開催されています。

美術館を楽しむ

MOA美術館には、ミュージアムショップやお食事処・カフェといった施設も充実しています。

お食事・カフェ情報

MOA美術館では、館内に5つの飲食施設があります。
芸術鑑賞だけでなく、美味しい食事やカフェタイムも楽しめます。

La Pâtisserie du muséepar Toshi Yoroizuka
有名パティシエ、鎧塚俊彦氏によるデザートショップです。
上質なスイーツとともに洗練されたカフェタイムを提供します。

the café
カジュアルな雰囲気の中で、軽食やドリンクを楽しめるカフェ。
美術鑑賞の合間にリラックスするのに最適な場所です。

茶室 一白庵
日本の伝統的な茶室で、本格的な茶道体験を提供。
静寂の中で茶と和菓子を味わいながら、和の心を学べます。

二條新町 そばの坊
手打ちそばと日本の郷土料理を提供する、心温まる食事処です。

和食 花の茶屋
伝統的な日本料理を現代的な感覚で楽しめるレストラン。
旬の食材を使った季節感あふれるメニューが魅力です。

お食事/カフェ MOA美術館 HPより

MOA美術館は、静岡県の有名な温泉リゾート地、熱海市にあります。
歴史ある温泉や海の眺望が楽しめます。

熱海市
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コレクション

MOA美術館では、国宝3点、重要文化財67点、重要美術品47点を含む約3,500点を所蔵しています。

1945(昭和20)年にMOA美術館の創設者:岡田茂吉は、「色絵桃花文皿 鍋島」(重文)を購入し、本格的な美術品の収集を始めました。

  • 葛飾北斎や歌川広重など、浮世絵の代表的な作品が豊富に所蔵されています。
  • 国宝や重要文化財に指定されている美術品が数多く所蔵されています。
  • コレクションページには、ジャンル毎検索することが出来ます。

作品紹介

紅白梅図屏風(こうはくばいずびょうぶ)《尾形 光琳》
紅白梅図屏風《尾形 光琳》 江戸時代(18世紀)紙本金地著色 二曲一双 各 156.0×172.2(㎝)

尾形光琳の「紅白梅図屏風」は、江戸時代の画壇における彼の独自の画風を反映した傑作です。

この二曲一双の屏風は、俵屋宗達に影響を受けて独自の表現を追求したものです。

  • 紅梅と白梅を中心に描きながらも、白梅の樹幹の大部分を画面外に隠す一方で、紅梅を画面いっぱいに展開しています。
  • 構成は、左右隻に対照的な美を創出し、中央の水流に微妙な曲線を加えることで視覚的なバランスを見事に保っています。
  • 光琳梅として知られるようになる梅花の線書きを省略する手法や、蕾の配列、樹幹に見られる特有のたらし込み技法を用いています。
  • 水紋の描写においても他に類を見ない卓越した筆さばきを披露し、全体に重厚なリズム感と洒落た装飾性をもたらしています。
  • 屏風全体に金箔が用いられています。
  • 水流は、黒箔(銀箔を硫黄で焼いて硫化させたもの)が用いられています。

これらの要素が結集することで、光琳の画業の集大成と称されるに至っています。

右隻には「青々光琳」、左隻には「法橋光琳」と署名されており、その両者には「方祝」の朱文円印が捺されています。
これらのことから、本作は光琳晩年の作品とされ、津軽家に伝来しました。

科学調査により、屏風の金地には金箔が用いられ、水流の部分には銀が残存していることが確認されました。
この技術的な側面も光琳の作品の魅力を一層引き立てています。

尾形 光琳(おがた こうりん)について

1658(万治元)年- 1716年7月20日(享保元年6月2日)
本名:尾形 惟富(おがた これとみ)。通称:市之丞

尾形光琳は、江戸時代中期を代表する画家であり、京都の呉服商「雁金屋」の次男として生まれました。
主に京都の富裕な町衆を顧客に、王朝時代の古典を学びながら、明快で装飾的な作品を残しました。
その非凡な意匠感覚は「光琳模様」として知られ、現代に至るまで日本の絵画や工芸に大きな影響を与えています。

光琳の画風は大和絵風を基調とし、晩年には水墨画の作品も手掛けました。
大画面の屏風だけでなく、香包、扇面、団扇などの小品や手描きの小袖、蒔絵など多岐にわたる制作活動を行いました。
また、実弟の尾形乾山の陶器に絵付けをするなど、その創作は多岐にわたっています。

彼の作品には都市的な感覚と雅やかなセンスが溢れており、現代においてもその影響力は色褪せません。
弟の乾山も、兄光琳の独特の意匠感覚を高く評価していました。

対照的な紅梅と白梅をそれぞれの屏風に描き、見事なバランスと調和を保ちつつ、それぞれの花が持つ独自の美しさを際立たせています。

対照的に描かれた紅梅と白梅が、河を挟んで対峙するかのように配置され、この繊細な対比が、作品全体に深い美的印象を与えています。

(まるで七夕伝説の織姫と彦星のようなロマンティックな雰囲気をも醸し出しています。)

藤蓮楓図(ふじはすかえでず)《酒井 抱一》

酒井抱一の「藤蓮楓図」は、江戸時代後期の琳派の流れを汲む作品で、繊細かつ装飾的な美を追求した極致を示しています。
この「藤蓮楓図」は、抱一が五十歳代後期に制作したもので、彼の芸術生活の集大成とも言える作品群です。

特に注目すべきは、彼の色使いと構図の優雅さです。
各作品は、それ自体が一つの季節を感じさせます。

「藤」は、藤の花が満開に咲き誇る姿を描いています。

長く垂れ下がるの藤の花房が繊細に表現され、風に揺れる様子が感じられます。

柔らかな紫色の花びらと緑の葉が金地の背景に映え、画面全体に優雅な雰囲気を漂わせています。

抱一の細やかな筆使いが、藤の美しさを引き立てています。
「蓮」では、蓮の花が中心に描かれています。

蓮の花びらは白とピンクのグラデーションで彩られ、その神秘的な美しさが際立ちます。

色の蓮の葉は大きく広がり、水面に浮かぶ様子が繊細に表現されています。

抱一の巧みな筆致が、蓮の静謐な魅力を引き出し、観る者を魅了します。

「蓮」の署名には「倣空中斎之図」と記されており、これは抱一が本阿弥光悦の孫、空中斎光甫の作品を模倣したことを示しています。

このことから、抱一が如何に琳派の伝統に深く傾倒していたかが伺えます。
「楓」では、紅葉した楓の葉が描かれています。

鮮やかな色に染まった楓の葉が、秋の風情を感じさせます。

木の幹を中心にが画面の上下にある楓が動きを与え、季節の移ろいを巧みに捉えています。

抱一の色彩感覚と構図の妙が、楓の図に独特の深みと情緒を加えています。
  • この三幅対は、藤、蓮、楓という三つの植物を通じて季節の変遷を象徴的に表現し、それぞれの画面が季節感に富んだ美しさを捉えています。
  • ここで、彼が私淑した琳派の巨匠、尾形光琳の影響から一歩進んで、色彩の鮮やかさと平塗りを用いてより華やかな効果を目指しました。
  • 一幅でも、三幅並べても一つの作品として、成立するような色と構図です。

これらの作品は、抱一の繊細で洒脱な感性と、彼が受け継いだ琳派の美学を現代に伝える貴重な財産となっています。

春、夏、秋を象徴する植物がそれぞれの季節の広がりを感じさせます。
三幅並べてみると、季節の移ろいと繋がりが一層際立ちます。

ずっと観ていたい作品です。

酒井 抱一(さかい ほういつ)について

1761年8月1日(宝暦11年7月1日)- 1829年1月4日(文政11年11月29日)
本名:酒井忠因(さかい ただなお)、幼名:善次、通称:栄八、字は暉真(きしん)

江戸の神田小川町の姫路藩別邸で、老中や大老に任じられる酒井雅楽頭家、姫路藩世嗣酒井忠仰の次男(第4子)として生まれました。

幼少期に両親と祖父を亡くし、兄・忠以のもとで育ちました。
30歳まで大手門前の上屋敷で過ごし、多くの文化人と交遊しながら俳諧や書画を嗜みました。

やがて家督問題から除外された抱一は、市井に下り、尾形光琳や乾山の作品に惹かれるようになります。
37歳で出家したものの、吉原通いは続け、出家は彼の人生の転機となりました。

1809年(文化6年)に下谷根岸に定住し、俳諧師としての実績を積む一方、光琳の表現を独自に咀嚼して絵画に反映しました。

晩年、下谷根岸の庵居「雨華庵」で代表作を次々と制作し、工芸品のデザインや出版にも携わりました。

文化12年には光琳百年忌を営み、光琳遺墨の展覧会を開催しました。
尾形光琳に私淑し、琳派の雅な画風を学びつつ、俳味を取り入れた詩情豊かで洒脱な画風に発展させ、江戸琳派の祖となりました。

時の文化人である一橋治済の依頼で《風神雷神図屏風》の裏面に《夏秋草図屏風》を制作し、評価を得ました。

酒井抱一は多くの号を持ち、俳号としては白鳧・濤花、後に杜陵(綾)を名乗り、狂歌名は尻焼猿人としても知られています。

その作品は、洗練された美意識と独自の芸術性を反映しています。

享年68。墓所は築地本願寺別院(東京都指定旧跡)。

門人:鈴木其一、池田孤邨、酒井鶯蒲、田中抱二、山本素堂、野崎抱真等

アクセス

住 所:〒413-8511 静岡県熱海市桃山町26−2

利用案内

開館時間


9:30-16:30(最終入館は16:00まで)

休館日

木曜日(祝休日の場合は開館)
展示替え日(※最新の情報はカレンダーをご確認ください)

入館料

一般1,760円(1,430円)
高大生1,100円(770円)
中学生以下無料
シニア割引1,540円
障害者割引無料

( )内は10名以上の団体料金

※ 各種割引の併用不可。
※ 高大生の方は入館の際、身分を証明できるものを提示。
※ シニア割引適用:65歳以上(証明できるものを提示)
※ 障害者割引の適用は障害のある方とその付添者2名、合計3名無料(証明できるものを提示)

前売り券
オンラインチケット販売サイト、熱海市内契約旅館、契約旅行会社などでお求めいただけます。

※契約の有無は直接旅館または旅行会社へお問い合わせください。

※詳細はHPをご確認下さい。

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MOA美術館 | MOA MUSEUM OF ART MOA美術館は静岡県熱海市にある美術館です。国宝3件、重要文化財67件,重要美術品46件を含む約3500件を所蔵し絵画、書跡、工芸、彫刻等日本、中国など東洋美術の各分野にわ...

水野美術館

水野美術館 HPより

水野美術館は、2002(平成14)年7月に開館した日本画専門の美術館です。

デラップス商事株式会社(現 ホクト株式会社)設立者であり実業家の水野正幸氏のコレクションをもとに展示されています。

ホクト株式会社
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蔵をイメージした外観に、3階建て、4つの展示室、日本庭園がある美術館です。

水野美術館 HPより

建物の建築設計は、(株)宮本忠長建築設計事務所です。

静かに鑑賞するための環境が整えられています。

  • ガラスケースの向かい側をすべて壁面にし、鑑賞の妨げになる映り込みをなくした回廊状の展示室
  • 屏風作品、大幅の軸作品を展示できる大型のガラスケース
  • フロア:靴音が響かない絨毯敷き、等

日本庭園は700坪、建物の正面に設けられており、ロビーからの景色は絵画作品の一つのようです。

水野美術館では、美術をより身近に感じていただくための鑑賞授業やギャラリートークなどの教育普及プログラムや、友の会が設けられています。

毎週土曜日:小・中学生の入館料無料

館内にはレストランやミュージアムショップがあり、美術鑑賞の合間に休憩やお食事を楽しみ、お土産の購入もできます。

水野美術館は、長野県長野市若里にあります。
近隣には、国際的なイベントが行われる複合施設「ビックハット」があります。

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コレクション

水野美術館は、設立者水野正幸氏のコレクション約500点に及ぶ作品を所蔵しています。
これらは、年4回コレクション展として、親しみやすいテーマで順次公開されています。

近代から現代に至る日本画の進化を一望できる屈指のコレクションとなっています。

区 分概 要主な作家
初期日本美術院系岡倉天心の理想に共感した
近代日本画の確立に寄与
橋本雅邦、横山大観、下村観山、菱田春草 等
日展系戦後から平成にかけて
伝統的な枠組みに捉われず
多様に展開された現代日本画
杉山寧、奥田元宋、高山辰雄 等
美人画コレクション近現代日本画上村松園、鏑木清方、伊東深水 等

横山大観の作品は32点を所蔵し、出世作であり幻の一作といわれる「無我」も含まれます。
菱田春草の作品は、初期から晩年にかけての38点を蒐集し、全国でも有数の所蔵数を誇ります。

作品紹介

歳寒三友(さいかんのさんゆう)《池上 秀畝(いけがみ しゅうほ)

池上秀畝の作品「歳寒三友」は、冬の風景を描いた美しい屏風絵です。

冬の厳しさと同時に、その中に咲く生命の美しさを感じさせる、池上秀畝の代表的な作品の一つです。

歳寒三友(さいかんのさんゆう)とは?

中国の宋代から始まった文人画の人気画題で、松・竹・梅の3つを指します。
これらは一緒に描かれることが多いですが、単体でも好まれました。

日本では「松竹梅(しょうちくばい)」として知られています。

松と竹は寒中でも色褪せず、梅は寒中に花を咲かせるため、これらは「清廉潔白・節操」の象徴とされました。
日本には平安時代に伝わり、江戸時代以降、民間でも「めでたい」象徴として広まりましたが、中国の本来の意味とは異なります。

中国の宋代に、文同や蘇軾が竹を主題に描き始め、後に梅・蘭・菊・松と画題が広がりました。
その中でも、松・竹・梅が特に頻繁に取り上げられました。

元・明代には陶磁器の主題としても人気を博し、日本では陶磁器や漆器、染織に描かれることが多く、「慶事に用いられる主題」として定着しました。

  • 通常の「歳寒三友」は松、竹、梅の3つの植物が描かれますが、この作品ではあえて「松」を「椿」に差し替え、鮮烈な赤色が画面のアクセントになっています。
  • 金地を背景に、雪に覆われた松の木と竹の葉が広がり、中央には雪の重みを受けながらも花を咲かせる梅の枝が描かれています。
  • 背景の下の雪が映えるような水面の深く暗い青(色)がさらに冬景色を表しています。
  • 胡粉を盛り上げた雪の表現は非常にリアルで、まるで触れられそうなほどです。
  • 雪景色の中に咲く紅梅の花が際立ち、寒さの中で生きる力強さと美しさを感じさせます。
  • また、ヒヨドリ、セキレイ、ミソサザイと思われる小鳥たちの描写も細やかで、一羽一羽異なるポーズでいきいきと描かれており、冬の静けさの中に息づく生命の温もりを感じ取ることができます。

池上秀畝の繊細な筆致と巧みな色彩の使い方が、この作品に季節の移ろいと自然の厳しさ、そしてそこに宿る美しさを見事に表現しています。

https://twitter.com/ShihoT/status/1353295098000236544

雪景色の中に覗く植物や鳥たちが鮮やかな色使いで豪華に仕上げられており、冬の閉ざされた季節に生命力を感じる作品です。

盛夏(せいか)《池上 秀畝(いけがみ しゅうほ)

池上秀畝の「盛夏」は、夏の風景を描いた屏風絵です。

先にご紹介した「歳寒三友」と一対の作品です。

夏の美しさと力強さが見事に表現されており、鮮やかな色彩と細やかな筆致が特徴的です。

  • 豊かな色彩の花々と黒い叭々鳥(ははちょう)の対比が鮮やかです。
  • バナナの大きなの葉が印象的に描かれ、い朝顔や紫陽花、オレンジ色の百合の花がその周りを彩ります。
  • 背景には竹が見え、全体に豊かな自然の広がりが感じられます。
  • い薔薇の花が、夏の鮮やかな色彩をさらに引き立て、華やかさを添えて夏の豪華さを感じさせます。
  • 作品の中で飛び交う小鳥や、枝に止まる鳥たちが動きを与え、静と動が調和した風景を作り出しています。
  • 金地の背景が花々と葉の色彩を際立たせ、夏の明るさと生命力を表現しています。

夏の息吹を感じさせ、自然の豊かさと生命力を伝える作品です。

池上 秀畝(いけがみ しゅうほう)について

1874(明治7)年10月11日 – 1944(昭和19)年5月26日

筑摩県西高遠町横町(現 長野県伊那市高遠町) 出身

1889(明治22)年 本格的に絵を学ぶために上京し、当時まだ無名だった荒木寛畝の最初の門人・内弟子となりました。

1916(大正5)年〜1918(大正7)年 3年連続で文展特選を受賞。

1918(大正7)年同志と共に新結社を結び、文展改革を始めます。

1919(大正8)年、発足したばかりの帝展で無鑑査となります。

1933(昭和8)年、帝展審査員 官展内の旧派を代表する画家としてその地位を確立しました。

伝神洞画塾を主宰し後進の指導に尽力しました。

・自然観察に基づく精緻な描写と豊かな色彩感覚で山水・花鳥画を描く画家として知られています。

・目黒雅叙園「百段階段」の「静水の間」豪華な格天井も手がけました。

・池上秀畝は、菱田春草と同い年で、信州高遠出身という共通点があります。

アクセス

住 所:〒380-0928 長野県長野市若里6丁目2−20

髙橋 友美 Yumi Takahashi
日本画家 Nihonga Artist
日本画情景 - Scenes Art -
この言葉に相応しい絵を描くことをテーマにしています。

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