日本画は、繊細な筆使いや花鳥風月等の自然、人物などをテーマとした題材で知られ、多くの人々を魅了してきました。
日本各地には、この日本画の魅力を伝える美術館が点在しています。
今回は、その中から特におすすめの美術館をピックアップし、ご紹介致します。
日本画の名作との出会いに心が躍ります。
皇居三の丸尚蔵館
皇居三の丸尚蔵館は、日本の長い歴史と深い文化遺産を象徴する場所です。
2023年(令和5)年に、「三の丸尚蔵館」から「皇居三の丸尚蔵館」に名称を改められました。
1989(平成元)年、上皇陛下及び香淳皇后が昭和天皇まで皇室に伝わる約6,000点の絵画、書、工芸品を国に寄贈しました。
この歴史的な寄贈を受け、これらの貴重な品々を収蔵し、一般に公開するために「三の丸尚蔵館」が設立されました。
「三の丸尚蔵館」は、1992(平成4)年に竣工、1993(平成5)年から一般公開されました。
2019年(平成31年/令和元年)度から、「三の丸尚蔵館」の収蔵庫と展示室を拡張するために増改築工事が開始されました。
リニューアルについて
設計:宮内庁管理部工務課、(株)日建設計
施工:清水建設(株)
2023年(令和5)年、宮内庁から国立文化財機構に移管され、同機構を所管する文化庁が収蔵品の管理を行う体制に改められ、第I期棟開館に合わせて、施設の正式名称は「皇居三の丸尚蔵館」に改められました。
- 皇居三の丸尚蔵館は、皇室によって代々受け継がれ、国内外から集められてきた貴重なこれらの美術品を恒久的に保存し、伝えていくために、温湿度管理が可能な収蔵庫を備えています。
- また、展示室を通じてこれらの作品を一般に公開し、専門的な調査研究を行い、修理や保存措置を講じながら、その成果を広く公開していくことで、日本の文化遺産を守り、育てています。
皇室は、奈良時代から現代に至るまで、美術文化の保護や文化振興のための活動を続けてきました。
東大寺毘盧舎那仏に奉納された正倉院宝物や、平安時代の後白河法皇の蓮華王院宝蔵など、歴史を通じて集められた美術品は、皇室の文化的遺産の豊かさを物語っています。
皇居三の丸尚蔵館は、皇室と日本の美術文化との深い結びつきを象徴する場所であり、訪れるすべての人に日本の歴史と文化の豊かさを伝えています。
皇居三の丸尚蔵館は、東京都千代田区の皇居東御苑内にあります。
コレクション
皇居三の丸尚蔵館の収蔵品は、日本の美術の歴史を網羅する広範なコレクションを誇ります。
皇居三の丸尚蔵館の収蔵品は、三の丸尚蔵館公開以降も、様々な皇族家からの寄贈品が加わり、コレクションはさらに充実しています。
これらの美術品は、皇室が長年にわたり収集し、そして今日に至るまで大切に保護してきた貴重な宝物です。
区 分 | 詳 細 |
---|---|
近世以前 | 各時代の書、絵画、工芸等の名品、優れた美術品。 |
近 代 | 明治時代以降、御慶事祝献上品、博覧会・展覧会における御買上げや制作依頼等、 皇室へ納められた美術品。 |
海 外 | 明治時代初頭当時各国元首の肖像画、アール・デコ期工芸品等、近代欧州美術品。 皇室に、親善の証として贈られた絵画、工芸品コレクション等。 |
1761年(宝暦11)年以前
絹本着色 143.4×79.9(cm)
1917(大正6)年
カンヴァス 油彩
平安時代(9世紀)
紙本墨書 1幅 134.3×54.5(cm)
1901(明治34)年 象牙 59.0×39.0x51.0(cm)
明治22年(1889)木彫、サクラ材1対(雄)31.8×14.8×9.7 (雌)20.5×2.5 x3.2(cm)
1880~1881年ブロンズ、鋳造
江戸時代末期~明治時代初期(19世紀)
木、漆塗 1基
1917(大正6)年陶器 径26.0 高19.5(cm)
1910(明治43)年頃 七宝1対各径14.7x高33.7(cm)
1893(明治26)年 銀、朧銀、鍛造 径20.8x高7.3(cm)
1882(明治15)年 塩瀬地 友禅染 刺繍1幅 276.0×123.5(cm)
皇居三の丸尚蔵館 HPより
作品紹介
唐獅子図屏風 (からじしずびょうぶ)左隻《狩野 常信》,右隻《狩野 永徳》
1636~1713年(江戸時代)紙本金地着色 224.0×453.5(cm)
紡ぐプロジェクトより
1543~90年(桃山時代)紙本金地着色 223.6×451.8(cm)
皇居三の丸尚蔵館 HPより
「唐獅子図屏風」は、狩野永徳と狩野常信、二人の狩野派の巨匠によって異なる時代に描かれた、極めて印象的な作品です。
今日、これらは一対として伝わっており、明治21年(1888年)に毛利元徳から献上されたと記録されています。
唐獅子図屏風 左隻《狩野 常信》 | 唐獅子図屏風 右隻《狩野 永徳》 |
狩野常信が、右隻に合わせて制作しました。 狩野常信による左隻は、右隻の古典的な美しさを受け継ぎながらも、彼自身の芸術性を巧みに織り交ぜています。 こちらの獅子は、左隻の獅子を追いかける仔獅子のように見えます。 また、眼は丸く可愛らしさのある表情で、立髪は白く、背景には滝と川波が新たに描かれています。 狩野派が世代を超えてその技術と芸術を受け継いでいく過程を物語っており、日本の屏風絵画の歴史においても貴重な一部となっています。 | 力強い筆法で描かれた雌雄の獅子が岩間を闊歩する様は、迫力と勇壮さを兼ね備えています。 この屏風の雄大さと、緻密に描かれた獅子の表情や筋肉の表現や様式から、狩野永徳自身の手によるものと疑いようがありません。 金箔の背景に墨で大きな岩間が描かれ、濃い色の立髪の2頭の雌雄の獅子が白銀と金で表してあるかのように描かれ、この絵を豪奢な作品にしています。 桃山画壇の華やかな時代を反映した作品であり、日本美術史上の重要な作品です。 |
この両作品を通じて、狩野派の優れた表現力と、時代を超えた美術への姿勢を感じることができます。
狩野 永徳(かのう えいとく)について
天文12年1月13日(1543年2月16日) – 天正18年9月14日(1590年10月12日)
京都出身
狩野松栄の長男、狩野元信の孫
安土桃山時代の絵師
室町時代から江戸時代まで日本画壇の中心にあった狩野派の代表的な画人であり、日本美術史上においても著名な画人の1人です。
狩野派の棟梁として織田信長、豊臣秀吉という天下人に仕え安土城、聚楽第、大坂城などの障壁画を制作しました。
これらの代表的な作品は建物とともに滅びてしまったものが多く、真筆とされる現存作品は比較的少ないです。
永徳といえば『唐獅子図』や『檜図』のような雄大なスケールの豪快な作品(大画)がよく知られるが、細部を緻密に描写した「細画」もよく描いたとされます(『本朝画史』)。
現存する代表作の1つである上杉本『洛中洛外図』は、彼が細密描写に秀でていたことを示しています。
狩野 常信(かのう つねのぶ)について
寛永13年3月13日(1636年4月18日) – 正徳3年1月27日(1713年2月21日)
京都出身
江戸時代前期の画家で、江戸幕府に仕えた狩野派(江戸狩野)の御用絵師
木挽町狩野家2代目
父は狩野尚信、母は狩野甚之丞の娘。
妻は狩野安信の娘。子に長男周信(木挽町狩野家3代)、次男岑信(浜町狩野家初代)、三男甫信(浜町狩野家2代)、娘(狩野探信室)
慶安3年(1650年)4月に父の尚信が没した後、15歳で狩野派(木挽町狩野家)を継ぎました。
画風は探幽に学んだためか、探幽のそれに近いです。
探幽様式の絵師の殆どは探幽の描き方を上辺だけなぞり、余韻がなく平板な絵が多いのですが、常信は探幽の意図を理解し再現できる画力をもった数少ない絵師です。
ただし両者を比較すると、常信には探幽のような幽遠さは無いが、モチーフの位置関係の整理・合理化、装飾性の増加と細密化が指摘でき、より明快で華やかな印象な画面となっています。
「唐獅子図屏風」の前に立った時、その迫力にただ感嘆するばかりでした。
この作品が、曾祖父と曾孫という二人の絵師によって時代を超えて一対として完成されたことは、興味深く、更に家族の絆や歴史、伝統の継承を感じさせます。
日出処日本(ひいづるところにほん)《横山 大観》
「日出処日本」と題されたこの作品は、1940年に初代神武天皇の即位2600年を祝う国家的な節目の年に描かれました。
全国が祝賀ムードに包まれる中、横山大観は「紀元二千六百年奉祝美術展覧会」に、この圧巻の巨大な日本画を出品しました。
大観は富士山を深く愛し、その生涯で約2,000点もの富士山を描いたと言われていますが、本作はその中でも特に規模の大きな代表作です。
尊皇家として知られる大観にとって、この作品は初めから皇室へ献上する意図を持って制作されたものであり、展覧会後には昭和天皇へ、そしてその縮小版が香淳皇后へ献上されました。
大観の筆は、大画面に向かって力強く、そして魂を込めて動いたことが伝わってきます。
- 朝日に照らされて輝く霊峰富士を、水墨画の技法を駆使して描いています。
- 背景には燃えるような真紅の太陽が昇り、日本の象徴としての富士山の威厳と美しさを力強く表現しています。
- 薄い金色の空、朝靄の中から朝日の逆光で黒く浮かび上がり、頭頂部は雪で白く輝く富士山が神々しいです。
本作とほぼ同時期に制作された「霊峰富士」は、姉妹作として読売新聞社の依頼で描かれ、現在も読売新聞東京本社にて人々を迎える存在となっています。
「日出処日本」は、日本画を代表する傑作の一つとして、横山大観の芸術的遺産と、その時代の国家的な情勢を色濃く反映した歴史的な一幅です。
横山 大観(よこやま たいかん)について
旧字体:橫山 大觀
1868(慶応4 / 明治元)年- 1958(昭和33)年2月26日)
本名は横山 秀麿(よこやま ひでまろ) 旧姓は酒井(さかい) 幼名は秀松(ひでまつ)
常陸国水戸(現在の茨城県水戸市下市)出身
水戸藩士・酒井捨彦の長男
20歳の時に、母方の親戚である横山家を継ぎます。
近代日本画壇の巨匠であり、今日「朦朧体(もうろうたい)」と呼ばれる、線描を抑えた独特の没線描法を確立しました。
帝国美術院会員 第1回文化勲章受章
死後、正三位勲一等旭日大綬章を追贈
茨城県名誉県民 東京都台東区名誉区民
雄大で美しい姿を表す富士山です。
霞から浮かび上がるように力強く壮大な姿を表し、頂上付近に輝くように白く雪化粧した富士山、背景の眩しい空と赤い朝日は、日本の象徴であり理想の姿です。
アクセス
住 所:〒100-0001 東京都千代田区千代田1−8 皇居東御苑 内
TEL:050-5541-8600
利用案内
開館時間
9:30 ~ 17:00 (最終入館:16:30まで)
※金曜日は、大手門のみの入門となります。(皇居東御苑休園の為)
休館日
月曜日(ただし月曜が祝日または休日の場合は開館し、翌平日休館)
年末年始
天皇誕生日および展示替期間
※その他諸事情により臨時に休館する場合があります。
入館料
【日時指定制】
来館前にオンラインによる日時指定 ※電話等受付不可
チケットの購入:オンライン決済のみ
一般 | 1,000円 |
大学生 | 500円 |
高校生以下および満18歳未満、満70歳以上 ※1 | 無料 |
障がい者手帳をお持ちの方、およびその介護者各1名 ※2 | 無料 |
図録付きチケット | 詳細はこちら |
※1 入館の際に年齢が確認できる証明書(生徒手帳、運転免許証、マイナンバーカードなど)提示
※2 入館の際に障がい者手帳等を提示
【障がい者手帳等をお持ちのご本人およびその介護者各1名の日時指定:不要】
館内当日販売の試行
- 会場内に余裕がある時間帯に限り、入館チケット(若干数)の館内当日販売を試行します。
- 混雑状況によっては販売を行わない場合があります。
- また、ご入館はオンライン申込の方が優先となります。
- 残数は随時変動するため、電話等によるお問い合わせには応じかねます。
- なお、東御苑閉園日に重なる開館日は販売を行いません。
※詳細はHPをご確認下さい。
泉屋博古館東京<六本木>
泉屋博古館東京(せんおくはくこかんとうきょう)<六本木>は、2002(平成14)年10月に、泉屋博古館(京都・鹿ヶ谷)の分館「泉屋博古館分館」として、旧住友家麻布別邸跡地に開設しました。
2022(令和4)年3月、泉屋博古館分館は改修工事を経て「泉屋博古館東京」に改称、リニューアルオープンしました。
年 | 工事 | 設計・監理 | 施工_建築工事 |
---|---|---|---|
2002 (平成14) | 泉ガーデン再開発 「泉屋博古館分館」 | (株)日建設計 (設計:櫻井 潔氏) | 住友・銭高・大成 特定建設工事共同企業体 |
2022 (令和4) | 改修工事 「泉屋博古館東京」 | (株)日建設計 (設計:高野 恭輔氏、高橋 淳氏) | 三井住友建設(株) |
泉屋博古館東京は、美術愛好家はもちろんのこと、日本文化に興味を持つすべての人々にとって、貴重な体験を提供する施設となっています。
- 「泉屋博古館」は、住友コレクションを中心に保存・研究・展示している美術館です。
- 京都と東京の二つの都市に位置するこの美術館は、各地の文化的特性を活かしながら展覧会を開催しています。
泉屋博古館東京は、東京都港区六本木の泉ガーデン敷地内にあります。
泉屋博古館東京には、ハリオカフェが併設しています。
また、正面入口の向かいには、スウェーデン大使館があります。
コレクション
1876(明治9)年 56.0 × 69.5(㎝)
油彩・キャンバス
《ジャン=ポール・ローランス》
1877(明治10)年
210.0 × 300.0(㎝) 油彩・キャンバス
1908(明治41)年
148.5 × 93.5(㎝) 油彩・キャンバス
1922(大正11)年
100.3 × 80.3(㎝) 油彩・キャンバス
1911(明治44)年
49.0 × 44.0 ×34.0(㎝)
彫刻・大理石
泉屋博古館東京は、住友コレクションを中心に美術品の保存・研究・公開を目的とする美術館です。
- 3,500件を超える作品(国宝2件、重要文化財19件、重要美術品60件を含む)を収蔵しています。
- その膨大なコレクションには、中国古代の青銅器から始まり、中国及び日本の書画、西洋絵画、そして近代の陶磁器に至るまで多岐にわたる品目が含まれています。
- さらに、日本独自の文化である茶道具や文房具、能面・能装束といった、日本の伝統芸能に関連する品々も所蔵しています。
京都と東京の二つの都市各地の文化的特性を活かしながら展覧会を開催し、訪れる人々に住友コレクションの深い魅力を伝え続けています。
住友コレクションについて
- 住友 春翠
(すみとも しゅんすい) -
住友 春翠 春翠鑑蔵印「泉屋清玩」 住友 春翠によって、明治時代から大正時代にかけて集められた住友コレクションは、美術品の保存と振興を目的とした豊かなコレクションです。
春翠は住友家の15代当主であり、銅山経営を始めとする多岐にわたる事業の拡大と近代化を推進した一方で、芸術文化にも深い関心を示しました。
彼は中国文人に憧れ、茶の湯や能楽を嗜むなどして日本の古典芸能を愛好し、自宅には季節を感じさせる日本画を飾りました。
また、洋画家たちを支援し、先進的な洋式の生活を楽しんだことも知られています。 - コレクションの源泉
-
彔簋(ろくき)銘文 『泉屋清賞』全6帙 住友コレクションは、特に青銅器を中心に国内外から高く評価されており、1960年には500点を超える青銅器や鏡鑑を含む古銅器類が住友家から寄贈され、これが現在の泉屋博古館の基礎となりました。
春翠はこれらの美術品を秘蔵するだけでなく、さまざまな展覧会を通じて公開し、広く認知度を高める努力をしました。
更に「泉屋清賞(せんおくせいしょう)」「増訂泉屋清賞」という豪華図録の刊行を通じて、研究分野にも大きく寄与しました。 - 多様なコレクション
-
安晩帖(第6図)《八大山人》 静物《ピエール=オーギュスト・ルノワール》 住友コレクションの多様性は、春翠だけでなくその後継者たちによっても受け継がれています。
春翠の長男、寛一は大正時代に中国絵画や日本近代洋画を集め、16代当主・友成は20世紀を代表する洋画や同時代の日本人画家の作品を収集しました。
これらのコレクションは、それぞれの時代とジャンルを超えて、住友家の美意識を映し出しています。
引用:泉屋博古館東京 HPより
作品紹介
深山猛虎図(しんざんもうこず)《橋本 雅邦(はしもと がほう)》
60.4 × 125.2(㎝) 紙本墨画淡彩
泉屋博古館東京蔵 HPより
橋本雅邦による「深山猛虎図」は、1890年頃に描かれた、紙本墨画淡彩の作品です。
深い山間において、風に舞う木の葉と勢いよく落ちる滝を背景に、二頭の虎が静かに中空を見つめる様子が描かれています。
この絵は、自然の荘厳さと静謐な雰囲気を併せ持ち、見る者に深い印象を与えると同時に、日本画における伝統的な表現技法と革新的な試みが融合している点で特筆されます。
- 墨の濃淡、絶妙なグラデーションを通じて表現された作品です。
- 2頭の虎は細かく描き込まれています。そこに視線が集中するように明暗や濃淡、構図に工夫をされています。
- 背景において、墨の濃淡を抑えて生み出された空間の広がりを感じられるよう描かれています。
光と空間表現における改良が見られるフェノロサの指導を受けた鑑画会時代の意欲的な作品です。
鑑画会とは
鑑画会は、明治時代の日本画の近代化を牽引した美術組織です。
明治11年(1878年)の欧化の流れの中で、従来の美術作品の価値が低下し、多くの画家が生計を立てることに困難を抱えていた時代に、「龍池会」として始まりました。
その後、フェノロサの指導のもと、和洋折衷の新しい日本画の創出を目指して、明治17年(1884年)には鑑画会が発足しました。
この組織は、古美術の鑑定や展覧会を通じて、狩野芳崖や橋本雅邦のような画家の作品を高く評価し、新しい創作の自由を奨励しました。
鑑画会の活動は、最終的に東京美術学校の設立に寄与し、明治20年(1887年)にその使命を終え自然消滅しました。
この動きは、日本の美術教育と表現の自由を大きく前進させるきっかけとなりました。
泉屋博古館東京に所蔵されているこの作品は、日本の近代美術史において重要な地位を占めています。
橋本 雅邦(はしもと がほう)について
1883(明治16)~1945(昭和20)年
兵庫県神戸市生まれ
東京で活動を始めた後、京都に移り、大正から昭和期にかけての京都画壇で活躍しました。
四条派の写実的な技術を取り入れつつ、新南画や新古典と称される独自のスタイルで数多くの作品を発表し、その時代の画壇で中心的な存在となりました。
帝国美術院会員や帝室技芸員としての地位を得るほか、フランスからはシュバリエドレジョン・ドヌール勲章を授与されるなど、国内外で高く評価されました。
墨の濃淡と筆使いでこれだけの表現ができることに感嘆します。
画中の虎の力強さと背景の自然が生き生きとしています。
柳桜図(やなぎさくらず)《木島 櫻谷(このしま おうこく)》
1917(大正6)年 180.0 × 365.0(cm) 絹本金地着色 泉屋博古館東京蔵
木島 櫻谷の「柳桜図」は、絹本金地による色彩豊かな作品です。
柳の新緑と山桜の満開の美しさを、金地の背景に映えるように描いており、円山四条派の写生技法と琳派の装飾性が見事に融合されています。
- この屏風は、春の息吹を豪華で繊細な表現で捉えており、鑑賞者をその場にいるかのような感覚に導きます。
- 白く咲き誇る満開の山桜と柳の新緑が鮮やかです。
- 金地の使用は、画面に深みと豊かな光沢を与え、植物の生命力と自然の美を際立たせています。
- 画家がこの作品に込めた、季節の変わり目の瞬間の移ろいを、見る者に感じさせる力があります。
この作品は、住友家からの依頼によって描かれた四季をテーマにした連作屏風の一部で、大阪にある茶臼山本邸で来賓を迎える際に飾られました。
「柳桜図」は、日本画の伝統技法を現代に伝える貴重な資産であり、美術史上重要な位置を占める作品です。
画面一杯に踊るように咲き誇る満開の白い山桜と柳の柔らかい新緑が金地に鮮やかに映えています。
溢れる春の喜びを表しているようです。
木島 櫻谷(このしま おうこく)について
1877(明治10)年3月6日 – 1938(昭和13)年11月3日
京都出身
花鳥画を中心とした多岐にわたる画題で知られる画家です。
明治時代の京都三条室町の商家に生まれ、若干16歳で当時の京都で人気を博していた花鳥画家・今尾景年(1845−1924年)のもとで絵を学びました。
師の影響を受けつつも、木島櫻谷は自らの画風を確立し、動物画、人物画、歴史画に至るまで、その才能を広く展開していきました。
明治40年(1907年)からは文部省美術展覧会(文展)に参加し、6年連続で上位に入賞するなどの実績を残しました。
文展が後に帝国美術院展覧会(帝展)となった後も、彼は審査員として活躍を続け、日本美術界におけるその地位を不動のものとしました。
木島櫻谷は、細やかな筆使いと緻密な表現で知られ、日本画壇において重要な足跡を残した画家の一人です。
アクセス
住 所:〒106-0032 東京都港区六本木1丁目5−1
TEL:050-5541-8600
利用案内
開館時間
開館時間11:00 〜 18:00(最終入館 17:30)
※金曜日は19:00まで開館
休館日
月曜日(祝日の場合は翌平日)
年末年始
展示替期間
入館料
一 般
企画展:1,000円税込
特別展:1,200円税込
高大生
企画展:600円税込
特別展:800円税込
中学生以下:無料
団体料金 ※20名様以上
企画展:一般800円、高大生500円
特別展:一般1,000円、高大生700円
障がい者手帳等およびミライロIDご呈示のかたはご本人および介添者一名まで無料です。
詳細は「バリアフリー情報>割引制度」をご参照ください。
※展覧会により、料金が変わることがあります。
詳細は各展覧会のページを参照
※詳細はHPをご確認下さい。
MOA美術館
MOA(エムオーエー)美術館は、1982(昭和57)年1月11日に開館しました。
前身は、1957(昭和32)年1月1日に開館した熱海美術館です。
現代的な空間の中で日本の伝統素材を用いた展示を通じて、新たな美術体験を提供することに取り組んでいます。
2017(平成29)年に、展示空間と設備が刷新されて新装開館しました。
ロビーエリア、展示スペースの設計は、「新素材研究所」(主宰_現代美術作家:杉本博司氏、建築家:榊田倫之氏)が手掛けました。
美術館の活動
MOA美術館は、日本文化の情報発信の場として、観光事業と美術・工芸の発展を推進することを目指しています。
スクールプログラム
映像アーカイブ/美の対談
児童作品展
MOA美術館光輪花クラブ
重要文化財「樵夫蒔絵硯箱」(伝本阿弥光悦)の保存修理事業
MOA美術館 HPより
行政とのパートナーシップを基にを持った施設としての役割を果たしています。
熱海市及びその近隣地域で国際観光文化都市を目指しており、その一つとして地域交流型の美術館になることを目標にしています。
- 学校と連携して、美による情操教育を積極的に推進されています。
- 「友の会」や寄付金など多くの支援により、美を通じて豊かな心を育む様々な取組みが行われています。
- 能楽やお茶会などのイベントが定期的に開催されています。
美術館を楽しむ
MOA美術館には、ミュージアムショップやお食事処・カフェといった施設も充実しています。
お食事・カフェ情報
MOA美術館では、館内に5つの飲食施設があります。
芸術鑑賞だけでなく、美味しい食事やカフェタイムも楽しめます。
La Pâtisserie du muséepar Toshi Yoroizuka
有名パティシエ、鎧塚俊彦氏によるデザートショップです。
上質なスイーツとともに洗練されたカフェタイムを提供します。
the café
カジュアルな雰囲気の中で、軽食やドリンクを楽しめるカフェ。
美術鑑賞の合間にリラックスするのに最適な場所です。
茶室 一白庵
日本の伝統的な茶室で、本格的な茶道体験を提供。
静寂の中で茶と和菓子を味わいながら、和の心を学べます。
二條新町 そばの坊
手打ちそばと日本の郷土料理を提供する、心温まる食事処です。
和食 花の茶屋
伝統的な日本料理を現代的な感覚で楽しめるレストラン。
旬の食材を使った季節感あふれるメニューが魅力です。
お食事/カフェ MOA美術館 HPより
MOA美術館は、静岡県の有名な温泉リゾート地、熱海市にあります。
歴史ある温泉や海の眺望が楽しめます。
コレクション
MOA美術館では、国宝3点、重要文化財67点、重要美術品47点を含む約3,500点を所蔵しています。
1945(昭和20)年にMOA美術館の創設者:岡田茂吉は、「色絵桃花文皿 鍋島」(重文)を購入し、本格的な美術品の収集を始めました。
- 葛飾北斎や歌川広重など、浮世絵の代表的な作品が豊富に所蔵されています。
- 国宝や重要文化財に指定されている美術品が数多く所蔵されています。
- コレクションページには、ジャンル毎検索することが出来ます。
江戸時代 天保4~5年(1833~34)
横大判錦絵揃物 五十五枚揃の内
22.2×34.3㎝
江戸時代(19世紀)
横大判錦絵揃物 四十六枚揃の内
24.6×35.0㎝
江戸時代(19世紀)
横大判錦絵揃物 四十六枚揃の内
24.6×35.0㎝
江戸時代(17世紀)
紙本金地著色 二曲一隻 151.3×170.9㎝
是古寺之廊門緑樹図依御好染玄墨者也
進上亀井武蔵守様
桃山時代(17世紀初期)紙本墨画金彩
六曲一双 115.4×357.0(㎝)
惟高亭之麻柳蓬舟承御望穢白楮者也
晋奉亀井武蔵守様
桃山時代(17世紀初期)紙本墨画金彩
六曲一双 115.4×357.0(㎝)
作品紹介
紅白梅図屏風(こうはくばいずびょうぶ)《尾形 光琳》
尾形光琳の「紅白梅図屏風」は、江戸時代の画壇における彼の独自の画風を反映した傑作です。
この二曲一双の屏風は、俵屋宗達に影響を受けて独自の表現を追求したものです。
- 紅梅と白梅を中心に描きながらも、白梅の樹幹の大部分を画面外に隠す一方で、紅梅を画面いっぱいに展開しています。
- 構成は、左右隻に対照的な美を創出し、中央の水流に微妙な曲線を加えることで視覚的なバランスを見事に保っています。
- 光琳梅として知られるようになる梅花の線書きを省略する手法や、蕾の配列、樹幹に見られる特有のたらし込み技法を用いています。
- 水紋の描写においても他に類を見ない卓越した筆さばきを披露し、全体に重厚なリズム感と洒落た装飾性をもたらしています。
- 屏風全体に金箔が用いられています。
- 水流は、黒箔(銀箔を硫黄で焼いて硫化させたもの)が用いられています。
これらの要素が結集することで、光琳の画業の集大成と称されるに至っています。
右隻には「青々光琳」、左隻には「法橋光琳」と署名されており、その両者には「方祝」の朱文円印が捺されています。
これらのことから、本作は光琳晩年の作品とされ、津軽家に伝来しました。
科学調査により、屏風の金地には金箔が用いられ、水流の部分には銀が残存していることが確認されました。
この技術的な側面も光琳の作品の魅力を一層引き立てています。
MOA美術館 HPより
尾形 光琳(おがた こうりん)について
1658(万治元)年- 1716年7月20日(享保元年6月2日)
本名:尾形 惟富(おがた これとみ)。通称:市之丞
尾形光琳は、江戸時代中期を代表する画家であり、京都の呉服商「雁金屋」の次男として生まれました。
主に京都の富裕な町衆を顧客に、王朝時代の古典を学びながら、明快で装飾的な作品を残しました。
その非凡な意匠感覚は「光琳模様」として知られ、現代に至るまで日本の絵画や工芸に大きな影響を与えています。
光琳の画風は大和絵風を基調とし、晩年には水墨画の作品も手掛けました。
大画面の屏風だけでなく、香包、扇面、団扇などの小品や手描きの小袖、蒔絵など多岐にわたる制作活動を行いました。
また、実弟の尾形乾山の陶器に絵付けをするなど、その創作は多岐にわたっています。
彼の作品には都市的な感覚と雅やかなセンスが溢れており、現代においてもその影響力は色褪せません。
弟の乾山も、兄光琳の独特の意匠感覚を高く評価していました。
対照的な紅梅と白梅をそれぞれの屏風に描き、見事なバランスと調和を保ちつつ、それぞれの花が持つ独自の美しさを際立たせています。
対照的に描かれた紅梅と白梅が、河を挟んで対峙するかのように配置され、この繊細な対比が、作品全体に深い美的印象を与えています。
(まるで七夕伝説の織姫と彦星のようなロマンティックな雰囲気をも醸し出しています。)
藤蓮楓図(ふじはすかえでず)《酒井 抱一》
江戸時代(19世紀)絹本著色 三幅対 各110.3×3534.3(㎝)
MOA美術館蔵
酒井抱一の「藤蓮楓図」は、江戸時代後期の琳派の流れを汲む作品で、繊細かつ装飾的な美を追求した極致を示しています。
この「藤蓮楓図」は、抱一が五十歳代後期に制作したもので、彼の芸術生活の集大成とも言える作品群です。
特に注目すべきは、彼の色使いと構図の優雅さです。
各作品は、それ自体が一つの季節を感じさせます。
藤 | 蓮 | 楓 |
---|---|---|
「藤」は、藤の花が満開に咲き誇る姿を描いています。 長く垂れ下がる紫の藤の花房が繊細に表現され、風に揺れる様子が感じられます。 柔らかな紫色の花びらと緑の葉が金地の背景に映え、画面全体に優雅な雰囲気を漂わせています。 抱一の細やかな筆使いが、藤の美しさを引き立てています。 | 「蓮」では、蓮の花が中心に描かれています。 蓮の花びらは白とピンクのグラデーションで彩られ、その神秘的な美しさが際立ちます。 緑色の蓮の葉は大きく広がり、水面に浮かぶ様子が繊細に表現されています。 抱一の巧みな筆致が、蓮の静謐な魅力を引き出し、観る者を魅了します。 「蓮」の署名には「倣空中斎之図」と記されており、これは抱一が本阿弥光悦の孫、空中斎光甫の作品を模倣したことを示しています。 このことから、抱一が如何に琳派の伝統に深く傾倒していたかが伺えます。 | 「楓」では、紅葉した楓の葉が描かれています。 鮮やかな赤や橙色に染まった楓の葉が、秋の風情を感じさせます。 木の幹を中心にが画面の上下にある楓が動きを与え、季節の移ろいを巧みに捉えています。 抱一の色彩感覚と構図の妙が、楓の図に独特の深みと情緒を加えています。 |
- この三幅対は、藤、蓮、楓という三つの植物を通じて季節の変遷を象徴的に表現し、それぞれの画面が季節感に富んだ美しさを捉えています。
- ここで、彼が私淑した琳派の巨匠、尾形光琳の影響から一歩進んで、色彩の鮮やかさと平塗りを用いてより華やかな効果を目指しました。
- 一幅でも、三幅並べても一つの作品として、成立するような色と構図です。
これらの作品は、抱一の繊細で洒脱な感性と、彼が受け継いだ琳派の美学を現代に伝える貴重な財産となっています。
春、夏、秋を象徴する植物がそれぞれの季節の広がりを感じさせます。
三幅並べてみると、季節の移ろいと繋がりが一層際立ちます。
ずっと観ていたい作品です。
酒井 抱一(さかい ほういつ)について
1761年8月1日(宝暦11年7月1日)- 1829年1月4日(文政11年11月29日)
本名:酒井忠因(さかい ただなお)、幼名:善次、通称:栄八、字は暉真(きしん)
江戸の神田小川町の姫路藩別邸で、老中や大老に任じられる酒井雅楽頭家、姫路藩世嗣酒井忠仰の次男(第4子)として生まれました。
幼少期に両親と祖父を亡くし、兄・忠以のもとで育ちました。
30歳まで大手門前の上屋敷で過ごし、多くの文化人と交遊しながら俳諧や書画を嗜みました。
やがて家督問題から除外された抱一は、市井に下り、尾形光琳や乾山の作品に惹かれるようになります。
37歳で出家したものの、吉原通いは続け、出家は彼の人生の転機となりました。
1809年(文化6年)に下谷根岸に定住し、俳諧師としての実績を積む一方、光琳の表現を独自に咀嚼して絵画に反映しました。
晩年、下谷根岸の庵居「雨華庵」で代表作を次々と制作し、工芸品のデザインや出版にも携わりました。
文化12年には光琳百年忌を営み、光琳遺墨の展覧会を開催しました。
尾形光琳に私淑し、琳派の雅な画風を学びつつ、俳味を取り入れた詩情豊かで洒脱な画風に発展させ、江戸琳派の祖となりました。
時の文化人である一橋治済の依頼で《風神雷神図屏風》の裏面に《夏秋草図屏風》を制作し、評価を得ました。
酒井抱一は多くの号を持ち、俳号としては白鳧・濤花、後に杜陵(綾)を名乗り、狂歌名は尻焼猿人としても知られています。
その作品は、洗練された美意識と独自の芸術性を反映しています。
享年68。墓所は築地本願寺別院(東京都指定旧跡)。
門人:鈴木其一、池田孤邨、酒井鶯蒲、田中抱二、山本素堂、野崎抱真等
アクセス
住 所:〒413-8511 静岡県熱海市桃山町26−2
TEL:0557-84-2511
利用案内
開館時間
9:30-16:30(最終入館は16:00まで)
休館日
木曜日(祝休日の場合は開館)
展示替え日(※最新の情報はカレンダーをご確認ください)
入館料
一般 | 1,760円(1,430円) |
高大生 | 1,100円(770円) |
中学生以下 | 無料 |
シニア割引 | 1,540円 |
障害者割引 | 無料 |
( )内は10名以上の団体料金
※ 各種割引の併用不可。
※ 高大生の方は入館の際、身分を証明できるものを提示。
※ シニア割引適用:65歳以上(証明できるものを提示)
※ 障害者割引の適用は障害のある方とその付添者2名、合計3名無料(証明できるものを提示)
【前売り券】
オンラインチケット販売サイト、熱海市内契約旅館、契約旅行会社などでお求めいただけます。
※契約の有無は直接旅館または旅行会社へお問い合わせください。
※詳細はHPをご確認下さい。
水野美術館
水野美術館は、2002(平成14)年7月に開館した日本画専門の美術館です。
デラップス商事株式会社(現 ホクト株式会社)設立者であり実業家の水野正幸氏のコレクションをもとに展示されています。
蔵をイメージした外観に、3階建て、4つの展示室、日本庭園がある美術館です。
建物の建築設計は、(株)宮本忠長建築設計事務所です。
- ガラスケースの向かい側をすべて壁面にし、鑑賞の妨げになる映り込みをなくした回廊状の展示室
- 屏風作品、大幅の軸作品を展示できる大型のガラスケース
- フロア:靴音が響かない絨毯敷き、等
日本庭園は700坪、建物の正面に設けられており、ロビーからの景色は絵画作品の一つのようです。
水野美術館では、美術をより身近に感じていただくための鑑賞授業やギャラリートークなどの教育普及プログラムや、友の会が設けられています。
館内にはレストランやミュージアムショップがあり、美術鑑賞の合間に休憩やお食事を楽しみ、お土産の購入もできます。
水野美術館は、長野県長野市若里にあります。
近隣には、国際的なイベントが行われる複合施設「ビックハット」があります。
コレクション
1897(明治30)年 絹本彩色 軸装
102.1×55.0(cm)
1899(明治32)年 紙本彩色 軸装
135.0×65.5(cm)
1933(昭和8)年 紙本彩色 軸装 249.3×199.5(cm)
1935(昭和10)年 絹本彩色 額装 154.5×57.4(cm)
1944(昭和19)年
絹本彩色 軸装(対幅)
各182.5×72.0(cm)
1984(昭和59)年
紙本彩色
200.0×155.0(cm)
1937(昭和12)年 絹本彩色 軸装 58.4×72.4(cm)
1935(昭和10)年頃 紙本彩色 額装 141.3×166.3(cm)
1942(昭和17)年頃 絹本彩色 額装
75.3×94.7(cm)
水野美術館は、設立者水野正幸氏のコレクション約500点に及ぶ作品を所蔵しています。
これらは、年4回コレクション展として、親しみやすいテーマで順次公開されています。
近代から現代に至る日本画の進化を一望できる屈指のコレクションとなっています。
区 分 | 概 要 | 主な作家 |
---|---|---|
初期日本美術院系 | 岡倉天心の理想に共感した 近代日本画の確立に寄与 | 橋本雅邦、横山大観、下村観山、菱田春草 等 |
日展系 | 戦後から平成にかけて 伝統的な枠組みに捉われず 多様に展開された現代日本画 | 杉山寧、奥田元宋、高山辰雄 等 |
美人画コレクション | 近現代日本画 | 上村松園、鏑木清方、伊東深水 等 |
横山大観の作品は32点を所蔵し、出世作であり幻の一作といわれる「無我」も含まれます。
菱田春草の作品は、初期から晩年にかけての38点を蒐集し、全国でも有数の所蔵数を誇ります。
作品紹介
歳寒三友(さいかんのさんゆう)《池上 秀畝(いけがみ しゅうほ)》
1926(大正15)年 絹本金地彩色 六曲一隻屏風 208.0×421.0(cm) 水野美術館蔵
池上秀畝の作品「歳寒三友」は、冬の風景を描いた美しい屏風絵です。
冬の厳しさと同時に、その中に咲く生命の美しさを感じさせる、池上秀畝の代表的な作品の一つです。
歳寒三友(さいかんのさんゆう)とは?
中国の宋代から始まった文人画の人気画題で、松・竹・梅の3つを指します。
これらは一緒に描かれることが多いですが、単体でも好まれました。
日本では「松竹梅(しょうちくばい)」として知られています。
松と竹は寒中でも色褪せず、梅は寒中に花を咲かせるため、これらは「清廉潔白・節操」の象徴とされました。
日本には平安時代に伝わり、江戸時代以降、民間でも「めでたい」象徴として広まりましたが、中国の本来の意味とは異なります。
中国の宋代に、文同や蘇軾が竹を主題に描き始め、後に梅・蘭・菊・松と画題が広がりました。
その中でも、松・竹・梅が特に頻繁に取り上げられました。
元・明代には陶磁器の主題としても人気を博し、日本では陶磁器や漆器、染織に描かれることが多く、「慶事に用いられる主題」として定着しました。
- 通常の「歳寒三友」は松、竹、梅の3つの植物が描かれますが、この作品ではあえて「松」を「椿」に差し替え、鮮烈な赤色が画面のアクセントになっています。
- 金地を背景に、雪に覆われた松の木と竹の葉が広がり、中央には雪の重みを受けながらも花を咲かせる梅の枝が描かれています。
- 背景の下の雪が映えるような水面の深く暗い青(藍色)がさらに冬景色を表しています。
- 胡粉を盛り上げた雪の表現は非常にリアルで、まるで触れられそうなほどです。
- 雪景色の中に咲く紅梅の花が際立ち、寒さの中で生きる力強さと美しさを感じさせます。
- また、ヒヨドリ、セキレイ、ミソサザイと思われる小鳥たちの描写も細やかで、一羽一羽異なるポーズでいきいきと描かれており、冬の静けさの中に息づく生命の温もりを感じ取ることができます。
池上秀畝の繊細な筆致と巧みな色彩の使い方が、この作品に季節の移ろいと自然の厳しさ、そしてそこに宿る美しさを見事に表現しています。
雪景色の中に覗く植物や鳥たちが鮮やかな色使いで豪華に仕上げられており、冬の閉ざされた季節に生命力を感じる作品です。
盛夏(せいか)《池上 秀畝(いけがみ しゅうほ)》
1933(昭和8)年 絹本金地彩色六曲一隻屏風 208.0×421.0(cm) 水野美術館蔵
練馬区立美術館 HPより
池上秀畝の「盛夏」は、夏の風景を描いた屏風絵です。
先にご紹介した「歳寒三友」と一対の作品です。
夏の美しさと力強さが見事に表現されており、鮮やかな色彩と細やかな筆致が特徴的です。
- 豊かな色彩の花々と黒い叭々鳥(ははちょう)の対比が鮮やかです。
- バナナの大きな緑の葉が印象的に描かれ、青い朝顔や紫陽花、オレンジ色の百合の花がその周りを彩ります。
- 背景には竹が見え、全体に豊かな自然の広がりが感じられます。
- 赤い薔薇の花が、夏の鮮やかな色彩をさらに引き立て、華やかさを添えて夏の豪華さを感じさせます。
- 作品の中で飛び交う小鳥や、枝に止まる鳥たちが動きを与え、静と動が調和した風景を作り出しています。
- 金地の背景が花々と葉の色彩を際立たせ、夏の明るさと生命力を表現しています。
夏の息吹を感じさせ、自然の豊かさと生命力を伝える作品です。
池上 秀畝(いけがみ しゅうほう)について
1874(明治7)年10月11日 – 1944(昭和19)年5月26日
筑摩県西高遠町横町(現 長野県伊那市高遠町) 出身
1889(明治22)年 本格的に絵を学ぶために上京し、当時まだ無名だった荒木寛畝の最初の門人・内弟子となりました。
1916(大正5)年〜1918(大正7)年 3年連続で文展特選を受賞。
1918(大正7)年同志と共に新結社を結び、文展改革を始めます。
1919(大正8)年、発足したばかりの帝展で無鑑査となります。
1933(昭和8)年、帝展審査員 官展内の旧派を代表する画家としてその地位を確立しました。
伝神洞画塾を主宰し後進の指導に尽力しました。
・自然観察に基づく精緻な描写と豊かな色彩感覚で山水・花鳥画を描く画家として知られています。
・目黒雅叙園「百段階段」の「静水の間」豪華な格天井も手がけました。
・池上秀畝は、菱田春草と同い年で、信州高遠出身という共通点があります。
アクセス
住 所:〒380-0928 長野県長野市若里6丁目2−20
TEL:026-229-6333
利用案内
開館時間
4/1〜10/31 9時30分 – 17時30分(入館は17時まで)
11/1〜3/31 9時30分 – 17時(入館は16時30分まで)
休館日
毎週月曜日(祝日の場合は翌日) / 展示替え日
1月1日 / 12月長期休館あり
詳細は休館日カレンダーをご覧下さい。
入館料
〈展覧会により、料金変更有〉
一 般 1,000〜1,200円
中高生 600〜700円
小学生 300〜400円
- 20名以上の団体は各100円引
- 小中学生が授業の一環として利用する場合は無料
- 小中学生は、毎週土曜日は無料
- 身体障害者手帳・療育手帳・精神障害者保健福祉手帳をお持ちの方と、付添1名は半額(要手帳提示)
- お着物でご来館の方は半額
【予約不要:美術館窓口で当日券を販売】
※詳細はHPをご確認下さい。
長野県内の美術館は、長野県立美術館とそれぞれコラボレーション企画が催されることがあります。
こちらもチェックしてみて下さい。
北野美術館
北野美術館は、1968(昭和43)年に開館しました。
長野県最大の建設会社である北野建設の実業家・北野吉登氏が所有する美術品を広く公開するために設立されました。
開館時の館長は、著名な美術評論家である河北倫明氏が務めました。
建物は、皇居新宮殿の基本設計を手掛けた建築家・吉村順三によるもので、庭園は作庭家・重森三玲による枯山水が設計されています。
北野美術館は、本館と2つの別館があり、これらの施設は、地域文化の向上に大きく貢献しています。
本館
2F | 2つの展示室 |
1F | 3つの展示室、茶室「光庵」、庭園 |
別館
「北野美術館 戸隠館」:休館中
「北野カルチュラルセンター」:多目的スペースで開放的で実験的なアートスペースを提供
北野美術館は、長野県長野市の保科川沿い、若穂太郎山の麓にあります。
近くには、犀川と千曲川の合流地点があり、若穂太郎山頂からは、風光明媚な景色が楽しめます。
コレクション
北野美術館は、日本画、洋画、彫刻、書、工芸など600点以上の貴重な作品を所蔵しています。
日本の近代(明治〜昭和)絵画史上で重要な作品や、海外の巨匠による彫刻作品が多数収蔵されています。
作品紹介
稲田の鶴(いなだのつる)《川合 玉堂(かわい ぎょくどう)》
北野美術館 公式Facebookより
川合玉堂の作品「稲田の鶴」は、約70年にわたる画業の中で、昭和初期の琳派を研究した時期の代表的な作品です。
- この屏風絵では、背景に金地を用い、画面全体に華やかさを添えています。
- 構図について、画面中央の水が流れる様子は、尾形光琳の「紅白梅図屏風」の水流を想起させます。
- 畔の表現にはたらしこみの技法が見られ、自然な色の滲みが畔の柔らかな質感を表現しています。
- 一方、鶴の描写には玉堂の優れた写実力が発揮されています。
- 鶴の頭や脚の描写には、鳥類の特徴が細部まで丁寧に描かれており、リアリティと生命感が感じられます。
- 鶴の羽毛の質感や、落ち着いた姿勢、自然な動きが見事に捉えられており、静謐な風景の中に鶴たちの存在感が際立っています。
この作品は、伝統的な琳派の技法と玉堂の独自の写実的な表現が融合し、静かでありながら力強い美しさを持つ一作です。
農村風景と鶴の組み合わせは、日本の自然と文化を象徴するものです。
金地で表された稲田が日に当たって黄金色に輝く風景が思い浮かびます。
背景はシンプルで、鶴は写実的に描き込まれており、メリハリのある画面です。
中心に配置された構図にはリズム感があり、非常に面白いです。
川合 玉堂(かわい ぎょくどう)について
1873(明治6)-1957(昭和32)年
愛知県生
14歳で京都の望月玉泉に入門し、後に幸野梅嶺に師事しました。
24歳の時、内国勧業博覧会で3等銅牌を受賞し、この博覧会で橋本雅邦の作品に感銘を受けて上京、雅邦の指導を受けました。
玉堂は、日本の自然を詩情豊かに平明に描き続け、独自の画風を確立しました。
横山大観、竹内栖鳳とともに、日本画壇の三巨匠と称されることも多いです。
1907(明治40)年 東京勧業博覧会1等賞受賞
1915(大正4)年 東京美術学校教授
1917(大正6)年 帝室技芸員
1919、1923(大正8、12)年 帝国美術院会員
1940(昭和15)年 文化勲章受章
北野美術館 HPより
風(かぜ)《上村 松園(うえむら しょうえん)》
1939(昭和14)年 絹本着色 軸装 北野美術館蔵
上村松園の作品「風」は、強い向かい風に抗いながらも品位と明朗さを保つ佳人を描いた美人画です。
- 女性の袂が風に翻り、裾が乱れる様子が巧みに表現されており、その動きの中に生き生きとした生命感が感じられます。
- この作品では、特に生え際の美しさや透けた着物の質感が際立っており、松園の円熟期の作風がよく示されています。
- 風を受ける女性の姿勢や表情には、毅然とした美しさと内面的な強さが表現されています。
- 目の冴えるような鮮やかな青い着物です。
- その着物の透けた質感が際立っています。
- 薄緑の帯との組み合わせが涼しげです。
- 裾から見える薄紅の襦袢の色が女性らしさが伺えます。
- 黒い髪や帯、赤い襟や下駄の赤い鼻緒がアクセントになっています。
上村松園の技術と美的感覚が集結したこの作品は、日本美術における美人画の名作の一つとして高く評価されています。
動的で爽やかさを感じさせながらも、上品さを失わないこの作品を通し、改めて松園先生の技術の高さに驚嘆します。
上村 松園(うえむら しょうえん)について
1875(明治8)-1949(昭和24)年
幼少期に父を亡くし、母の手で育てられました。
京都府画学校で学び、鈴木松年や竹内栖鳳に師事しました。
1890年(明治23年) 第3回内国勧業博覧会にて「四季美人図」が英国貴族に買い上げられたことをきっかけに、文展を中心に活躍しました。
1948年(昭和23年) 女性として初めて文化勲章受章。
松園は、わずかな卑俗さも無い女性の美しさを追求し続けました。
彼女の作品は、上品で気品ある美人画として高く評価されています。
北野美術館 HPより
アクセス
住 所:〒381-0101 長野県長野市若穂綿内7963−2
TEL:026-282-3450
利用案内
開館時間
3月~9月 9:30~17:00
12月~2月 9:30~16:30
※入館は閉館時刻の30分前まで
休館日
毎週月曜日(祝日の場合は翌日)
年末年始
※ただし開催展示により上記限りではありません。
詳細はお問い合わせください。
入館料
一般 700円
無料
20名以上2割引き/100名以上3割引き(展示により料金変更有)
区 分 | 料 金 |
---|---|
一 般 | 700円 |
大高生 | 500円 |
中学生以下 | 無料 |
団 体 | 20名以上2割引き/100名以上3割引き(展示により料金変更有) |
障がい者割引 | 半額(介添者1名半額) |
※詳細はHPをご確認下さい。
泉屋博古館〈京都・鹿ヶ谷〉
泉屋博古館〈京都・鹿ヶ谷(ししがたに)〉は改修工事のため、2025年春まで休館です。
泉屋博古館京都は、1960(昭和35)年7月に住友家旧蔵の美術品を保存、公開するために設立されました。
【名称の由来】
住友家の江戸時代の屋号「泉屋」と中国・宋時代の青銅器図録「博古図録」に因み、付けられました。
年 | 工事 | 設計・監理 | 施工_建築工事 |
---|---|---|---|
1970(昭和45)年 | 1号館:青銅器館 | (株)日建設計 (設計:小角亨氏) | (住友・銭高・大成 特定建設工事共同企業体 |
1986(昭和61)年 | 2号館:企画展示館 絵画、茶道具の展示 | (株)日建設計 (設計:大泉研二氏) | 三井住友建設(株) |
1986(昭和61)年 2005(平成17)年 | 中庭 前庭 | 11代小川治兵衞作庭 |
目の前に広がる東山の景色と調和し、心静かに芸術と向き合える空間
泉屋博古館京都は、世界有数の青銅器コレクションを有しています。
現在、デジタルコンテンツとして、新たな青銅器鑑賞に取り組まれています。
泉屋博古館京都は、京都市左京区鹿ケ谷にあります。
コレクション
重要美術品
殷時代後期
(前11世紀)h 35.7㎝
清時代
1694(康煕33)年
31.7 × 27.5 ㎝
紙本墨画淡彩
重要文化財
鎌倉時代(13世紀)
35.7× 59.3 ㎝
紙本着色
国宝
南宋時代(13世紀)
97.5 × 50.6 ㎝
絹本墨画着色
国宝
平安時代(12世紀)
径 15.1㎝
銅造線刻
泉屋博古館京都は、住友コレクションを中心に美術品の保存・研究・公開を目的とする美術館です。
- 3,500件を超える作品(国宝2件、重要文化財19件、重要美術品60件を含む)を収蔵しています。
- その膨大なコレクションには、中国古代の青銅器から始まり、中国及び日本の書画、西洋絵画、そして近代の陶磁器に至るまで多岐にわたる品目が含まれています。
- さらに、日本独自の文化である茶道具や文房具、能面・能装束といった、日本の伝統芸能に関連する品々も所蔵しています。
京都と東京の二つの都市各地の文化的特性を活かしながら展覧会を開催し、訪れる人々に住友コレクションの深い魅力を伝え続けています。
住友コレクションについて
- 住友 春翠
(すみとも しゅんすい) -
住友 春翠 春翠鑑蔵印「泉屋清玩」 住友 春翠によって、明治時代から大正時代にかけて集められた住友コレクションは、美術品の保存と振興を目的とした豊かなコレクションです。
春翠は住友家の15代当主であり、銅山経営を始めとする多岐にわたる事業の拡大と近代化を推進した一方で、芸術文化にも深い関心を示しました。
彼は中国文人に憧れ、茶の湯や能楽を嗜むなどして日本の古典芸能を愛好し、自宅には季節を感じさせる日本画を飾りました。
また、洋画家たちを支援し、先進的な洋式の生活を楽しんだことも知られています。 - コレクションの源泉
-
彔簋(ろくき)銘文 『泉屋清賞』全6帙 住友コレクションは、特に青銅器を中心に国内外から高く評価されており、1960年には500点を超える青銅器や鏡鑑を含む古銅器類が住友家から寄贈され、これが現在の泉屋博古館の基礎となりました。
春翠はこれらの美術品を秘蔵するだけでなく、さまざまな展覧会を通じて公開し、広く認知度を高める努力をしました。
更に「泉屋清賞(せんおくせいしょう)」「増訂泉屋清賞」という豪華図録の刊行を通じて、研究分野にも大きく寄与しました。 - 多様なコレクション
-
安晩帖(第6図)《八大山人》 静物《ピエール=オーギュスト・ルノワール》 住友コレクションの多様性は、春翠だけでなくその後継者たちによっても受け継がれています。
春翠の長男、寛一は大正時代に中国絵画や日本近代洋画を集め、16代当主・友成は20世紀を代表する洋画や同時代の日本人画家の作品を収集しました。
これらのコレクションは、それぞれの時代とジャンルを超えて、住友家の美意識を映し出しています。
泉屋博古館京都 HPより
作品紹介
海棠目白図(かいどうめじろず)《伊藤 若冲(いとう じゃくちゅう)》
伊藤若冲の「海棠目白図」は、満開の海棠と辛夷(こぶし)の花の中で、メジロが枝に寄り添い合う姿を描いた作品です。
メジロが密集して枝に止まる様子を表す「目白押し」という表現がまさにこの絵の情景を見事に捉えています。
- この作品では実物観察を重んじる彼の特徴がよく表れています。
- 実は「鶯色(うぐいすいろ)」と呼ばれる色はメジロの色に近く、鶯(ウグイス)はもっと茶色がかった地味な色をしています。
- 白いコブシの花々に黄緑の羽のメジロの群れで早春の景色を表しています。
- メジロの独特な生態に注目し、小鳥への共感が感じられる作品です。
- 花々と小鳥たちの繊細で生き生きとした描写が、春の息吹を感じさせる逸品です。
この作品は、若冲が40代前半に制作したと考えられており、自然への深い愛情と観察力が伺えます。
メジロが辛夷の咲き誇る花々と戯れている様子が可愛らしく、春の訪れを共に歓迎しているようです。
伊藤 若冲(いとう じゃくちゅう)について
1716(正徳6)年3月1日(2月8日) – 1800(寛政12)年10月27日(9月10日)
江戸時代の絵師
京都生まれ
京都の青物問屋「枡屋」の長男
裕福な環境のもと、独学で作品を制作しました。
彼は絵を描くこと以外には全く興味を示さず、商売には熱心でなく、芸事もせず、酒も嗜まず、生涯妻も娶りませんでした。
1755年(宝暦5年)、40歳の若冲は家督を3歳下の弟・白歳(宗巌)に譲り、「茂右衛門」と改名して早々と隠居しました。
1758年(宝暦8年)頃から「動植綵絵」を描き始め、翌年には鹿苑寺大書院障壁画を制作
1764年(明和元年)には金刀比羅宮奥書院襖絵を描きました。
隠居後の若冲は作画三昧の日々を送っていたと長年考えられていましたが、
1771年(明和8年)には町年寄を務め、町政に関わりを持ち、錦高倉市場の再開に奔走していたことが分かっています。
若冲の作風は、細部まで描き込まれた極彩色の絹本着色作品や、即興的な筆遣いとユーモラスな表現が特徴の水彩画が多く、日本美術史上でも異彩を放っています。
若冲は江戸時代中期に活躍し、その強烈で奇抜な画風から「奇想の画家」とも称されています。
アクセス
住 所:〒606-8431 京都府京都市左京区鹿ケ谷下宮ノ前町24
TEL:075-771-6411
利用案内
休館〜2025年春まで ※改修工事のため
開館時間
休館日
入館料
※詳細はHPをご確認下さい。
松伯美術館
松伯美術館は、1994(平成6)年3月に開館しました。
上村松篁・淳之両画伯からの作品の寄贈と近畿日本鉄道株式会社(近鉄)が中心となって設立されました。
美術館では、上村松園・松篁・淳之の三代にわたる作品、草稿、写生などの美術資料を収集、保管、展示等、画業を紹介されています。
美術館の建築設計は、村野・森建築事務所(現:MURANO design)が担当しました。
隣接する旧佐伯邸は、1965(昭和40)年に建築家:村野藤吾氏が設計しました。
数寄屋建築の手法を取り入れた近代和風住宅です。
【美術館の名称について】
- 「松伯」の「松」は、上村松園・松篁両画伯の名前と、美術館の所在地である故佐伯勇近鉄名誉会長旧邸の庭に植えられた百数十本の松に由来しています。
- 「伯」は、画伯の「伯」と佐伯氏の「伯」、さらに邸内の茶室の号「伯泉亭」から取られています。
- 「松伯(しょうはく)」の音は常磐木である「松柏」にも通じるようにと、意味が込められています。
松伯美術館は、奈良県奈良市北西部の大渕池沿いに建っています。
コレクション
松伯美術館のコレクションは、上村松園・松篁・淳之の三代にわたる作品、草稿、写生などの美術資料を収集、保管、展示等、画業を紹介しています。
作品紹介
鼓の音(つづみのね)《上村 松園(うえむら しょうえん)》
Fashion Pressより
「鼓の音」は、上村松園が65歳の円熟期に描いた作品です。
京都の裕福な令嬢と思われる女性が、鼓を打つ稽古をする姿です。
今回ご紹介する作品の前に、同じタイトルの作品が描かれています。
1938(昭和13)年「京都美術倶楽部三十周年記念展」に出品されました。
PInterest より
1938(昭和13)年 絹本着色 額装 76.7 × 90.4(cm) 個人蔵
[初出品展]京都美術倶楽部三十周年記念展
その作品と同じ構図で、一層鮮やかな配色で描かれ、1940年のニューヨーク万国博覧会に出品されました。
この作品は、日本的な美の典型として絶賛されました。
遠近法の不在
色彩の抽象化など
西洋美術とは異なる点が現地の人々に新鮮な驚きを与えました。
- 女性の凛とした表情や、朱の着物、帯に描かれた鳳凰紋様、跳ね上がった袂が躍動感と緊張感を醸し出しています。
- 着物の赤と帯の緑や青、鼓や文様、髪飾りに施された黄色や金色など、原色の組合せが決して派手にならず、静謐さを感じさせるのは、日本的な雰囲気が自然に現れているためでしょう。
- 着物や帯の色のグラデーションが絹の質感をより引き立て、鼓の紐や着物の袂の薄紫色が更に上品さを加えています。
- 女性は安定した三角形構図に収まっています。
- 下方に振られた右手が、画面にみなぎる緊張感を作り出して、これから放たれる音が見る者の耳に響いてくるようです。
松園は金剛巌(シテ方金剛流能楽師 二十四世金剛流宗)に師事して能を楽しみ、自ら鼓も打ちました。
Fashion Pressより
この作品は、鼓を打つ自身をイメージ化したものと考えられます。
この名作は、日本の美を世界に伝えました。
同じ構図で描かれた二点の作品「鼓の音」。
青と赤、色が与える印象で違うイメージになります。
また、図録で見比べてみると、女性の表情まで僅かに違うようです。
松園先生の画家としての姿勢を深く尊敬しています。
描かれる清らかで上品、そして凛とした女性像は、永遠の憧れです。
上村 松園(うえむら しょうえん)について
1875(明治8)年~1949(昭和24)年
京都生まれ
鈴木松年、幸野楳嶺、竹内栖鳳に師事し、その才能を開花させました。
京都の風俗、歴史、謡曲の物語等に取材した気品ある格調高い女性像を描かれています。
1948(昭和23)年、女性として初めての文化勲章受章
その作品は多くの人々に愛され続けています。
水温む(みずぬるむ)《上村 松篁(うえむら しょうこう)》
1988年(昭和63年) 紙本着色 額装 松伯美術館蔵
Fashion Pressより
この作品は、枯れゆく椿とともに、春の訪れをほのめかす鳥や若葉の映える水面を描いた作品です。
水に沈んだ枯椿の上に美しさを保った椿の花と舞い落ちる蕾があり、水上に葦に留まるキセキレイ(黄鶺鴒)が描かれています。
落ちた椿に過ぎ去る季節の哀愁を感じさせる一方で、可憐な小鳥「キセキレイ」には新しい季節が訪れる喜びが見て取れます。
- 若葉の映える水面(若芽色:明るい灰みの黄緑系の色)と沈みゆく枯椿(赤朽葉色)の静かで落ち着いた色の背景です。
- その上に、清らかな白地に赤色が差す絞り椿の花と赤い蕾、葦の上に留まるキセキレイ(黄鶺鴒)の鮮やかな配色のモチーフが印象的です。
- 背景とモチーフの色彩においても、季節の移り変わりと生と死の対比を巧みに表現されています。
この作品は、静かながらも深い感動を与える一枚です。
展覧会で目にした時、とても惹かれました。
お気に入りの作品の一枚です。
上村松篁先生の描く鳥たちの美しさに魅了されます。
上村 松篁(うえむら しょうこう)について
1902(明治35)年11月4日-2001(平成13)年3月11日)
京都生まれ
京都市立絵画専門学校で学び、西山翠嶂に師事しました。
1948(昭和23)年 日本画団体「創造美術」(後に、新制作協会日本画部、創画会)の結成に参加
その後の活動を通じて日本画壇での地位を確立しました。
1984(昭和59)年には文化勲章受章
その功績は広く認められています。
上村松篁の作品は、近代的な造形と色彩感覚を取り入れた花鳥画で知られています。
その独自の美学と技術により多くの人々に愛されています。
花の水辺Ⅰ,Ⅱ(はなのみずべⅠ,Ⅱ)《上村 淳之(うえむら あつし)》
奈良県観光公式サイトあをによし なら旅ネットより
Fashion Pressより
2007(平成19)年 紙本着色 額装 松伯美術館蔵
上村淳之の作品「花の水辺Ⅰ,Ⅱ」は、花菖蒲が咲き誇る水辺に佇む鳥たちを描いたものです。
この連作は、静謐な美しさと生命の息吹を巧みに表現しています。
花の水辺Ⅰ | 花の水辺Ⅱ |
---|---|
白と紫の花菖蒲が背景を彩り、長い脚を持つ鳥が水辺に立っています。 鳥の優雅な姿勢が、静かな水面に映り、穏やかな雰囲気を醸し出しています。 | 鳥が小さな雛鳥たちと一緒に水辺にいる様子が描かれています。 母鳥の優しさと雛鳥たちの可愛らしさが印象的で、自然の中での生命の営みが感じられます。 |
- 淡い水色を背景に、花菖蒲の緑の葉を含め、全体的に柔らかな色彩で描かれています。
- また、白や紫の花菖蒲の彩りとともに、水辺の涼しさや鳥達の可愛らしさ、親子の愛情が伝わるようです。
- 鳥の黒白のコントラストが、この絵の主役であり、Ⅱの方では、親鳥の顔と薄茶色の雛鳥に視線が行くように構成されています。
花菖蒲と共に描かれた鳥たちの繊細な描写が、見る者に深い感動を与えます。
上村淳之の独特の色彩感覚と緻密な描写が際立つこの作品は、自然の美しさと生命の輝きを見事に捉えた一作です。
この作品は、涼やかな景色の中で戯れる鳥たちの姿が温かみを感じさせます。
淳之先生の作品は、動物たちを親子や家族として描かれることが多く、その深い愛情が感じられます。
上村 淳之(うえむら あつし)について
1933(昭和8)年-
京都生まれ
奈良市在住
本名・上村 淳(うえむら あつし)
上村松篁の長男
1959(昭和34)年 京都市立美術大学修了
1995(平成7)年 日本芸術院賞 受賞
2013(平成25)年 文化功労者顕彰
2022(令和4)年文化勲章受章
日本芸術院会員
京都市立芸術大学名誉教授
創画会会員
京都市学校歴史博物館館長公益財団法人松伯美術館館長
日本鳥類保護連盟奈良研究所所長
東洋独自の絵画表現を模索しながら花鳥画の新しい展開を追求し続けています。
アクセス
住 所:〒631-0004 奈良県奈良市登美ヶ丘2丁目1−4
TEL:0742-41-6666
利用案内
開館時間
10時〜17時(入館は16時まで)
休館日
月曜日(祝日となるときは、次の平日)
年末年始、展示替期間、その他必要のある場合
入館料
大人(高校生・大学生を含む) | 820円 |
小学生・中学生 | 410円 |
※「特別展」「企画展」は別料金(要問合せ)
団体割引 | 20名以上 1割引 |
障がい者手帳のご提示 | ご本人と同伴者1名 2割引 |
奈良市ななまるカード のご提示 | 5割引 ※「特別展」「企画展」は要問い合わせ |
割引入館券
大人(高校生・大学生を含む) | 730円 |
小学生・中学生 | 360円 |
※「特別展」「企画展」は別料金(要問合せ)
<発売場所>
(1) 近鉄駅営業所
大阪難波、大阪上本町、京都、大阪阿部野橋、近鉄名古屋、桑名、近鉄四日市、白子、津、伊勢中川、宇治山田、鳥羽
詳しくはこちら
(2) JTB電子チケット
詳しくはこちら
(3) コンビニエンスストア(JTBレジャーチケット)
取扱店舗:セブン-イレブン、ローソン、ミニストップ、ファミリーマート
詳しくはこちら
※詳細はHPをご確認下さい。
足立美術館
たびこふれ より
安藤ハザマ HPより
足立美術館は、1970(昭和45)年11月に開館しました。
現在、本館と新館の展示室があり、近現代の日本画を始め、日本美術の名作を鑑賞することができます。
足立美術館の魅力は、美術品と調和する美しい日本庭園です。
足立美術館の設立者であり実業家の足立全康氏は、美術品収集と、庭造りに情熱を傾けました。
庭園は、春夏秋冬の四つのゾーンに分かれており、それぞれに特徴的な植物や池や滝などが配置されています。
四季折々に移り変わる自然の風景を楽しむことができます。
足立美術館
建物設計:僊石友秋(せんごくともあき)
新館設計施工:(株) 安藤・間(【AHAD】安藤ハザマ)設計部
庭園設計:中根金作 「昭和の小堀遠州」と称えられた日本の造園・作庭家
足立美術館は、日本画と日本庭園の両方を堪能できる、日本の美を感じることができる美術館です。
足立美術館は、島根県安来市にあり、全国的人気の民俗芸能「安木節」や世界から注目される「芸術ものづぐりの町」として知られています。
コレクション
1944(昭和19)年 73.0 × 86.0㎝ 絹本着色
1902(明治35)年 54.5 × 112.2 ㎝ 絹本着色
1941(昭和16)年 108.0 × 127.5 ㎝
1899(明治32)年 頃 138.5 × 151.5㎝
1928(昭和3)年 各171.2 × 369.0 ㎝
1928(昭和3)年 各171.2 × 369.0 ㎝
アートアジェンタより
足立美術館のコレクションは、ほとんど創設者・足立全康氏の眼によって厳選されたもので、近代日本画、現代日本画、陶芸、童画、木彫などの名作の数々です。
足立全康の収集への情熱は、特に1979(昭和54)年に北沢コレクションから横山大観の作品群を一括購入したことに表れています。
1978(昭和53)年、名古屋の横山大観展で「紅葉」に感動し、入手を決意しました。
調査の結果、北沢コレクションに所蔵されていることが判明しました。
交渉の末、2年かけてほとんどの作品の購入が決まりましたが、「雨霽る」と「海潮四題・夏」が外される事態になりました。
そこで、
「一目惚れの女性に2年も通い続けて枕金も決め、さあ床入りという時に、枕をかかえて逃げられるようなもんだ。そりゃあんまりじゃないですか。」
と情熱を訴え、最終的に全ての作品を足立美術館に迎え入れることができました。
足立美術館 HP 「絵画収集のエピソード」より
作品紹介
紅葉(こうよう)《横山 大観》
1931(昭和6)年 六曲一双屛風 各163.3 × 361.0(cm)
アートアジェンタより
この作品は、真紅の紅葉に群青の流水と白金泥の漣を加え、秋の清冽な自然を描き出しています。
、右隻では清らかな水流とたなびく霞が秋の澄んだ空気を感じさせます。また、彼方へ飛び去ろうとする一羽のセキレイの姿が画面に広がりをもたらしています。
左隻 | 右隻 |
---|---|
左隻の大部分は、紅葉で埋め尽くされています。 | 清らかな水流と、たなびく霞が秋の澄んだ空気を感じさせます。 また、彼方へ飛び去ろうとする一羽のセキレイの姿が画面に広がりをもたらしています。 |
- 青地に白金泥で描かれた均質なさざ波模様と、白金箔を撒いた霞を背景に、力強い幹と枝が伸び、無数の鮮やかな紅葉が画面を彩っています。
- 紅葉の葉は形こそ一様に描かれていますが、鮮やかな朱を基調に、古代朱、黄、緑を要所に配し、一枚一枚異なる表情にされています。
- 幹には濃度の違う墨や絵具を合わせて独特のにじみを作る伝統技法「たらし込み」を用いるなど、琳派の研究も生かされた装飾性豊かな作品です。
紅葉の鮮やかな赤が目を引きますが、当初、大観は紅葉の葉を水墨と金泥で描くつもりだったそうです。
しかし、京都で良質の朱を見つけたため、濃彩画に変えたそうです。
- 本朱(ほんしゅ)
-
鮮やかな赤みを持った橙色です。
神社仏閣の朱塗りにも使われ、美しく神聖な色とされています。
その特徴として、耐水性や防腐性があり、さらに毒性が強いため、魔除けの意味合いでも使用されています。 - 本古代朱
(ほんこだいしゅ) -
「本朱」を焼くことで美しい紫がかった褐色のような味わい深い色に変化し、「本古代朱」として使用されてきました。
しかし、「本朱」は水銀なので、焼くと有毒なガスが発生します。
それによる職人さん達の健康被害が発生した為、現在は作られなくなりました。
現在作られている色は、新岩絵具などです。上羽絵惣 HPより
原料が硫化水銀や鉛などの絵具(「朱」「丹」「辰砂」等)は、焼くことで有毒ガスが発生して大変危険なので、焼くことは厳禁です。
また、銀箔・銀泥を変色させますので、絵画制作の際は、注意が必要です。
※銀箔・銀泥との重ね塗りは避けた方が無難です。
このように、「紅葉」は、横山大観の技巧と美的感覚が見事に結集した一枚です。
この作品から、秋の鮮やかな景色と涼しい空気まで感じます。
自然の美しさを存分に楽しむことができます。
横山 大観(よこやまたいかん)について
1868(明治元)年~ 1958(昭和33)年
茨城県生まれ
東京美術学校第一期生
岡倉天心や橋本雅邦の薫陶を受けました。
天心指導のもと日本美術院創立に参加、新しい日本画の創造に邁進しました。
院展は一度消滅しましたが、後に日本美術院を再興し、院展を中心に数々の名作を発表、
明治・大正・昭和と日本画壇をリードし続けました。
1898(明治31)年 天心指導のもと日本美術院 創立に参加。
1914(大正3)年 日本美術院 再興
1937(昭和12)年 第1回文化勲章受章
祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)《平山 郁夫》
1981(昭和56)年 紙本彩色 171.0×362.0(cm)
足立美術館蔵
この作品は、大樹の生い茂る一角で釈迦が説法をしている場面を描いています。
インドの祇園精舎は、釈迦の説法に感動した長者が私財を投げ打って建てた寺院であり、現在では礎石を残すのみの遺跡となっています。
平山郁夫の手により、往時の精舎が蘇ったように感じられます。
- 下地に金箔が使われていて、画面全体に輝きと奥行きが感じられます。
- 大樹の生い茂る深い森の中を濃く深い緑で表してあります。
- その中に金色の光線が差し込む中に、釈迦とその弟子たちが逆光で浮かび上がります。
- その陰色は、金色のグラデーションで黒檀の色調を帯びているようで、神々しさと幻想的な雰囲気を醸し出しています。
「黒檀(こくたん)」
正倉院の宝物にも「黒檀」が見られるほど古来より珍重され、半永久的な耐朽性を持ち、強く、硬く重い木材です。
(その中でもインド黒檀は、黒檀の中でも最高級の種類です。)
製材して間もない頃には全体的に色が薄く緑褐色をしていますが、時間が経つにつれて黒く濃くなっていくのが特徴です。
また、磨けば磨くほど内側から輝きを増します。
平山郁夫は、イメージの世界を描くだけでなく、仏教伝来の道を自らの足で歩き、その中から古代を蘇らせました。
1959年制作の「仏教伝来」に始まり、仏教の東漸を遡上して作者が辿り着いた一つの結論が、この作品には込められています。
観ているうちにこの作品から神々しさを感じます。
絵具の層を100回重ねて制作されていると聞きました。
また、色彩について解説文を書く際、その影の色についてどう表現しようかと調べていくうち、和名の色彩に「黒檀色」が存在していることを知りました。
そして、古代からインド及び仏教文化に関連する貴重な物である金や黒檀を想起させる色で彩色されているところに驚愕しました。
平山先生の調査に裏打ちされた表現に脱帽です。
描くことが祈りのように感じます。
平山 郁夫(ひらやまいくお)について
1930(昭和5)年~ 2009(平成21)年
広島県生まれ
東京美術学校卒業後、前田青邨に師事。
1953(昭和28)年 院展初入選
1989(平成元)年 東京藝術大学長就任
1998(平成10)年 文化勲章受章
仏教をテーマに多くの名作を描き、さらには中近東から中国までのシルクロードを旅しながら取材し、幻想的な画風の中に壮大な歴史の流れを描き出しました。
シルクロードや世界遺産のシリーズにより、70年代以降の院展をリードしました。
アクセス
住 所:〒692-0064 島根県安来市古川町320
TEL:0854-28-7111
■JR安来駅より無料シャトルバスで約20分
■お車山陰道安来ICより約10分
利用案内
開館時間
年中無休
夏 季 | 4月-9月 | 9:00-17:30 |
冬 季 | 10月-3月 | 9:00-17:00 |
休館日
● 新館のみ、展示替えのため休館日あり
入館料
区 分 (税込) | 個 人 | 団 体 (20名以上) | 団 体 (100名以上) |
---|---|---|---|
大 人 | 2,300円 | 1,900円 | 1,700円 |
大学生 | 1,800円 | 1,500円 | 1,300円 |
高校生 | 1,000円 | 800円 | 700円 |
小中生 | 500円 | 400円 | 300円 |
※ 各種クレジットカード、ⅰDをご利用になれます。
※ 本料金で日本庭園や本館・魯山人館・新館で開催中の展覧会など、
すべてをご覧いただけます。
|各種割引制度
次の方は各証明書をご提示ください。
【身体障がい者手帳・療育手帳・精神障がい者保健福祉手帳・ミライロIDをお持ちの方】
個人料金の半額
各1種・重度(A)相当・1級の方、介護者1名とも半額
|青少年の優遇処置について
- 公立学校が休日となる土曜日は、小中高生の入館料:無料(要学生証提示)
- 小中学校に限り、学校教育の一環として教師等が引率、事前申込みの場合のみ、無料
※詳細はHPをご確認下さい。
二階堂美術館
二階堂美術館は、1994(平成6)年に設立されました。
江戸時代から酒造りを営んできた二階堂酒造有限会社の六代目・二階堂暹(あきら)は、若い頃より日本画に親しみ、その伝統を後世に伝えたいとの想いから、1981(昭和56)年頃より美術品の収集を始め、平成に入る頃にはコレクションの勢いは増し、美術館構想が生まれました。
二階堂美術館の設計:合沢一級建築士事務所
近代から現代にいたる日本画の作品(横山大観や川合玉堂、上村松園、郷土出身作家の福田平八郎など)、床の間を飾る掛軸を中心とした1000点を超える収蔵品を企画展や特別展を通して適時紹介しています。
二階堂美術館では、お気に入りの作品を独り占めできるような贅沢な時間と空間を楽しむことができます。
二階堂美術館は、海の幸豊かな別府湾に面し、神々の宿るといわれる国東半島南端部に位置する大分県日出(ひじ)町にあります。
コレクション
1892(明治25)年頃 絹本着色 軸装
50.3 × 62.6 ㎝
1934(昭和9)年 絹本着色 軸装
47.0 × 66.0 ㎝
1926(大正15)年 絹本着色 軸装
116.0 × 148.5 ㎝
1863(文久3)年 紙本着色 六曲一双屏風
各171.0 × 378.0 ㎝
1917(大正6)年 絹本着色 軸装
68.0 × 88.0 ㎝
1940-45(昭和15-20)年 絹本金地着色 軸装
26.5 × 23.8 ㎝
二階堂美術館は、明治から現代に至る近現代の日本画を中心に約1,000点を所蔵しています。
東京画壇
・横山大観:約70点
・川合玉堂:約50点 等
京都画壇
・竹内栖鳳:約30点
・上村松園:約40点 等
郷土出身
・福田平八郎 等
「掛け軸」をメインにしたコレクションが充実しています。
作品紹介
月下梅・蘭花鯉・雨と芙蓉・雪の竹雀《渡辺 省亭(わたなべ せいてい)》
大正初期頃 絹本着色 四幅対 各126.0×40.8 ㎝
渡辺省亭の「月下梅・蘭花鯉・雨と芙蓉・雪の竹雀」は、四季折々の自然の美しさを繊細に描いた四幅の作品です。
月下梅・蘭花鯉・雨と芙蓉・雪の竹雀 |
---|
月下梅: 満月の下に咲く梅の花が描かれています。 月光に照らされた梅の花が幽玄な美しさを放ち、夜の静寂と自然の神秘を感じさせます。 蘭花鯉: 流れる水と共に泳ぐ鯉が、蘭の花と共に描かれています。 水の動きと鯉の躍動感が見事に表現されており、生命の躍動感が感じられます。 雨と芙蓉: 雨に打たれる芙蓉の花が、瑞々しく描かれています。 雨粒が花びらに落ちる瞬間を捉えたような描写が、繊細な美しさを際立たせています。 雪の竹雀: 雪景色の中で竹に止まる雀が描かれています。 雪の白さと竹の緑、雀の動きが対比的に描かれ、冬の冷たさと温もりが同時に感じられます。 |
青桐燕・夜桜・柳雀、四季草花《渡辺 省亭(わたなべ せいてい)》
1912(大正元)年 絹本着色 三幅対 各115.0×41.0 ㎝
「青桐燕・夜桜・柳雀、四季草花」《渡辺省亭》は三幅の作品で、季節の移ろいとともに自然と動物の調和が描かれています。
青桐燕・夜桜・柳雀、四季草花 |
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青桐燕: 青桐の枝に燕が飛び交う姿が描かれています。 燕の動きと青桐の緑が鮮やかに描かれ、夏の生命力を感じさせます。 夜桜: 満開の桜が夜空の下に描かれています。 月明かりに照らされた桜の花が幻想的で、春の夜の美しさが表現されています。 柳雀: 柳の枝に止まる雀が描かれています。 柳の柔らかな枝と雀の可愛らしい姿が調和し、春の優しい風景を思い起こさせます。 |
大正初期頃 絹本着色 四幅対 各126.0×40.8 ㎝
1912(大正元)年 絹本着色 三幅対 各115.0×41.0 ㎝
こうして2つの作品を並べてみると、季節の移り変わりと繋がるようおかれています。
面白い試みです。
渡辺 省亭(わたなべ せいてい)について
嘉永4年12月27日(1852年1月18日) – 大正7年(1918年)4月2日)
洋風表現を取り入れた洒脱な花鳥画を得意としました。
佳日(かじつ)《中村 大三郎(なかむら だいざぶろう)》
二階堂美術館蔵
中村大三郎の作品「佳日」には、振り袖姿の2人の女性が描かれています。
「佳日」というタイトルは、「良い日、おめでたい日」を意味します。
「松竹梅」が慶事・吉祥のシンボルであることから、「佳日」は『お正月』を象徴していると考えられます。
- 左側の女性は「松」の図柄の着物を、右側の女性は「竹」の図柄の帯に「梅」の図柄の着物を身に付けています
- これにより、この作品の主題が「松竹梅」であることが明らかになります。
- 華やかな着物に身を包んだ女性たちの姿が、祝祭の雰囲気を醸し出し、伝統的な日本の美意識と祝福の意味を表現しています。
- 生成りから薄紅色の柔らかく優しい色調がベースとなり、作品全体に温かみと穏やかさを与えています。
- 女性の肌の柔らかい白さが黒い結髪によって引き立てられ、二人の女性の美しさが際立っています。
- 二人の女性がそれぞれ身に纏う薄緑と薄浅葱色の着物は、背景と補色対比を成し、爽やかな印象を与えます。
- 帯と長襦袢の赤系統の色彩がアクセントとなり、全体の調和を保ちながら視線を引きつけます。
中村大三郎の作品は、その繊細な描写と色彩感覚により、観る者に静謐な美しさとおめでたい日の喜びを伝えます。
女性たちの優雅な姿が、見る者の心に鮮やかに刻まれる作品です。
女性の柔らかさと可憐さが表されています。
中村 大三郎(なかむら だいざぶろう)について
1898(明治31)年3月21日 – 1947(昭和22)年9月14日
京都市生まれ
京都市立絵画専門学校を卒業
在学中、第12回文展に初入選
第2回、第4回の帝展で特選
西山翠嶂に師事し、青甲社に入ります。
1933(昭和8)年、自身の画塾を創立
帝展審査員や京都市立絵画専門学校教授を務めます。
初期は時代風俗を取材した作品を描いていたが、次第に現代女性や、能楽を主題とする作品を描くようになりました。
ピアノ《中村 大三郎》
「ピアノ」は、中村大三郎の代表作です。
ピアノを弾く妻を描いています。
1926(大正15)年 絹本着色 屏風 四曲一隻 164.5 × 302.0 (cm) 京都市京セラ美術館蔵
T JAPANより
美しくてモダンな作品です。
アクセス
住 所:〒879-1505 大分県速見郡日出町川崎837−6
TEL:0977-73-1100
利用案内
開館時間
9:00~17:00(入館は16:30まで)
休館日
毎週月曜日 (ただし月曜日が祝日および振替休日の場合は開館、次の平日が休館)
年末年始および展示替え日
その他、施設整備等による臨時休館日
*詳細は開館日カレンダーでご確認ください。
観覧料
区 分 | 個 人 | 団 体(20名以上) | 障がい者 |
---|---|---|---|
一般 | 800円 | 600円 | 600円 |
大学生・高校生 | 500円 | 400円 | 400円 |
中学生・小学生 | 300円 | 200円 | 200円 |
- 小・中・高校生は学校教育活動に基づく観覧、および土曜日の観覧は無料とします。
- 大学生は「学生証」を、障がい者割引利用の場合は「障がい者手帳」の提示をお願いいたします。
※詳細はHPをご確認下さい。
「日本画の世界へようこそ!おすすめ美術館で巡る全国名作の旅」のまとめ
日本画は、その歴史や技法の深さを通じて、私たちにさまざまな感動や発見をもたらしてくれます。
皇居三の丸尚蔵館
皇居三の丸尚蔵館は、皇居内に位置し、歴代天皇が収集した美術品や宝物を展示する美術館です。
皇室ゆかりの貴重な文化財を通じて、日本の歴史と文化を深く理解することができます。
泉屋博古館東京
泉屋博古館東京は、中国古代の青銅器や陶磁器を中心に展示する美術館で、歴史的価値の高い収蔵品を多く有しています。
静謐な空間で、古代中国の優れた工芸技術を堪能することができます。
MOA美術館
MOA美術館は、静岡県熱海市にあり、日本と東洋の美術品を幅広く収蔵しています。
広大な敷地内には日本庭園や茶室もあり、芸術鑑賞とともに豊かな自然も楽しめる施設です。
水野美術館
水野美術館は、長野市に位置し、近代日本画の名作を多く所蔵しています。
静かな展示空間で、横山大観や菱田春草などの作品をじっくりと鑑賞できます。
北野美術館
北野美術館は、長野県日出町にあり、日本画、洋画、彫刻、書、工芸など多彩な美術品を収蔵しています。
開放的な展示空間で、芸術作品と自然の調和を楽しむことができます。
泉屋博古館京都
泉屋博古館京都は、主に東洋の古美術品を展示する美術館で、歴史的な文物を通じて東洋文化の奥深さを感じることができます。
落ち着いた雰囲気の中で、貴重な収蔵品を鑑賞できます。
足立美術館
足立美術館は、島根県安来市にあり、横山大観をはじめとする近代日本画の名作を多数収蔵しています。
また、日本庭園も有名で、美術と自然の美しさを同時に楽しむことができます。
二階堂美術館
二階堂美術館は、大分県日出町に位置し、近現代の日本画を中心に約1,000点のコレクションを有しています。
静かな環境で、横山大観や川合玉堂、上村松園などの作品を堪能できます。
次の休日は、近くの美術館で日本画の美しさに触れてみてはいかがでしょうか。
全国各地の美術館を訪れることで、その多様性や地域性を深く感じることができるでしょう。
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