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「日本画の世界へようこそ!おすすめ美術館で巡る全国名作の旅【作品解説&アクセス徹底紹介】」を公開しました。ぜひ、日本画が観られるおすすめの美術館の旅の参考にご覧下さい。

日本画の美を楽しむ!美術館巡り〜神奈川〜作品解説&アクセス徹底紹介

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日本画の世界は、深い歴史と豊かな表現力にあふれ、その魅力は計り知れません。

神奈川県は、その魅力を十分に堪能できる美術館が点在しています。

今回は、日本画の美しさを深く探求できる神奈川のおすすめ美術館をご紹介します。

その緻密な技法と独特な表現が織りなす美術の世界に足を踏み入れてみませんか?

目次

横浜美術館

横浜美術館

横浜美術館は、神奈川県横浜市みなとみらいにある美術館です。

横浜美術館のコレクションは、13,000点を超えており、また、横浜市の文化と芸術の発展に深く関わる貴重なコレクションを収蔵しております。

横浜美術館につきましては、以下の記事で詳しくご紹介しております。
合わせてご覧下さい。

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神奈川県立近代美術館

神奈川県立近代美術館は、1951年に開館した日本初の公立近代美術館です。

神奈川県内にある近現代の美術作品を中心に収蔵しています。

1951年開館時は、鶴岡八幡宮境内に建てられました。
その時の建築設計は、坂倉準三氏によるものです。

こちらは、耐震性の問題により、2016年に閉館しました。

葉山館】と【鎌倉別館の2つの施設で、年数回にわたり多彩な展覧会を開催しています。
また、教育普及活動も積極的に行い、美術館が多様な形で楽しめるように努めています。

葉山館

葉山館は、2003年に神奈川県立近代美術館の施設の一つとして開館しました。
展示室、美術図書室、講堂、収蔵庫など多様な設備を備えています。

建築設計は、(株)佐藤総合計画展示室です。
天井高や照明環境に変化を持たせることで、作品が持つ表情を最大限に引き出すことを目指しています。

また、観覧料なしで利用できるエントランスホール、中庭、レストラン、ミュージアムショップ、庭園など、美術館を気軽に楽しめる空間として設計されています。

葉山館は、主に日本の近現代絵画作品を展示しています。

神奈川県立近代美術館【葉山館】レストラン「オランジュ・ブルー」から見える景色

葉山館は、天皇・皇族の葉山御用邸付属邸跡地に開設された葉山しおさい公園の敷地内にあります。

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鎌倉別館

神奈川県立近代美術館 鎌倉別館は、1984年に開館し、2019年10月にリニューアルオープンしました。

建築設計は大高正人氏によるもので、自然に溶け込む美術館です。

この美術館は、現代から歴史的作品まで多岐にわたる展示を通じて、訪れる人々に文化と芸術の体験を提供します。

鎌倉別館では、主に現代アートを展示しています。

神奈川県立近代美術館【鎌倉別館】モニュメント

鎌倉別館は、旧鎌倉館のあった鶴岡八幡宮から北鎌倉方面へ約350メートルの地点に位置しています。

鶴岡八幡宮
鶴岡八幡宮|TSURUGAOKAHACHIMANGU 鶴岡八幡宮のオフィシャルサイトです。「武士の都・鎌倉の文化の起点」とも言える鶴岡八幡宮の由緒を通して、歴史や文化、鎌倉の地についてご案内いたします。

コレクション

神奈川県立近代美術館は、1951年の開館以来、その所蔵作品数をおよそ16,000件にまで増やしてきました(2023年3月現在)。

特に、日本近代美術の作品を中心に、その質と量は日本の公立美術館の中でも有数です。

神奈川県立近代美術館には、多様な個人旧蔵コレクション群が含まれています。

広義の日本画作品の所蔵点数は約350点です。

戦後の日本画で独自の表現を追求し、活躍した作家が中心となります。

作品紹介

海「真鶴まなづるの海」、火山「浅間山(あさまやま)《片岡 球子(かたおか たまこ)》
《海(真鶴の海)》《火山(浅間山)》
この作品は、画面の3/4を占めるゴツゴツした大きな岩と、海が荒々しく波飛沫を立てている力強い筆致が特徴的です。

画面は、海と岩、で構成されており、動的な海の波と静的な岩との対比が印象的です。

波の白泡や岩の質感が緻密に描かれており、観る者の目を惹きつけます。

奥の海の色はく、波飛沫を白、光を感じられる波や岩肌は金及び金泥が使われている様です。

岩は、茶系でゴツゴツした男性的な手、拳の様にも感じられます。

真鶴半島は、切り立った海岸を持つ溶岩大地です。

その真鶴の海の力強さと畏敬の念を感じさせる作品です。
『火山(浅間山)』は、片岡球子の《火山シリーズ》の1点で、活動的な浅間山の姿を大胆かつ表現力豊かに描いた作品です。

火口付近の鮮やかない色、マグマや溶岩、硫黄が噴出している様子を茶、黄色灰色の火山灰が山全体を白く覆っている様子を表しています。

また、の輪郭線が力強さを構成しています。

溶岩が山を流れ落ちる激しいエネルギーと動きを伝えるため、鮮やかで豊かな色彩と大胆な筆遣いが用いられています。

荒々しい火山の前景に、平和で肥沃な田園風景を配置することで、自然に内在する創造と破壊の共存を象徴的に表現しているとも解釈できます。

浅間山の威厳と畏敬の念を感じさせる作品です。
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この2つの作品共、伝統的な日本画の美学とモダンな抽象表現を融合した技法で、風景だけでなく、その壮大な自然力の威厳を表現しています。

片岡 球子について

片岡球子(1905年 – 2008年)は、昭和から平成にかけて活躍した日本画家であり、日本芸術院会員、文化勲章および文化功労者を受章した著名な日本画家です。

北海道札幌市出身の球子は、女子美術専門学校(現・女子美術大学)を卒業後、横浜市の小学校で教鞭をとりながら画業を進めました。

彼女の作品は、古典的な日本画の伝統を継承しつつ、大胆な構成と斬新な色使いで知られており、従来の日本画にはない迫力ある表現を取り入れ、日本画の新境地を切り拓いたと評されています。

特に、帝展(現・日展)への3度の落選を経て、47歳で日本美術院同人となり、晩年まで活躍を続けた「遅咲き」の画家でした。

彼女の作品には、強烈な個性と日本的イメージを鮮烈な色彩で表現する力強い画風が特徴です。

また、富士山シリーズや面構(つらがまえ)シリーズなど、独自の視点から描かれたシリーズ作品も高く評価されています。

片岡球子の人生と芸術への情熱は、彼女が103歳で亡くなるまで続き、その長いキャリアの中で、日本画の可能性を探求し続けた姿勢が多くの人々に影響を与えました。

現代においても、その作品は国内外で高い評価を受け続けており、日本画の魅力と可能性を伝える貴重な遺産となっています。

山の絵が有名ですが、海の絵も描かれていました。

また、麻布(キャンバス)にアクリル絵具を合わせて使用されています。

それによって、洋画の前衛的な表現で自然の力強さ及び描くことへの情熱を感じます。

岩絵具とアクリル絵具の併用について

技法によっては、経年による画面変化や剥離が報告されております。
この点を踏まえ、ご使用になる際には十分な注意と理解をお願い致します。

また、可能であれば専門家のアドバイスを参考にすることを推奨します。

お夏清十郎物語(第2図)《鏑木 清方(かぶらききよかた)
《お夏清十郎物語(第2図)》鏑木清方 1939(昭和14)年 絹本着彩 37.5×47.0(cm) 神奈川県立近代美術館 文化遺産オンラインより
コレクション 鏑木清方
神奈川県立近代美術館HPより

『お夏清十郎』は、1662年に姫路で起きた駆け落ち事件を基にした一連の文芸作品の総称です。

この物語は、「お夏狂乱」とも呼ばれ、江戸時代の旅籠「但馬屋」の娘お夏と手代の清十郎の悲恋を描いています。
彼らの恋は身分の違いから許されず、駆け落ちを試みるも清十郎は捕らえられて処刑され、お夏は狂乱の末に行方不明となります。

この物語は江戸時代から多くの作家によって様々な形で語られてきました。

井原西鶴による浮世草子「姿姫路清十郎物語」や、近松門左衛門による人形浄瑠璃「五十年忌歌念仏」など、歌舞伎や文学作品として広く知られています。

また、昭和時代には映画や戯曲としても制作され、現代に至るまで日本文化の中で色褪せることなく語り継がれています​

鏑木清方の《お夏清十郎物語(第2図)》は、清方の画風を表している作品です。

桜の花が咲く美しい季節。

水辺に幕をはって敷き物をしき、若い女性が寝転んでいます。
料理が入った重箱にも手をつけず、お花見もせず、一人きりで悩んでいるような様子です。

 鏑木清方は「お夏を描かうと思ひ立つて、竪から、横から、表から、裏からと、…行から行の間をも漏らさじと」*、ていねいに物語を読み、6つの場面をえらびました。

これは第二の場面で、清十郎を好きになったお夏の、恋に悩むすがたです。
*(『鏑木清方文集 一 制作餘談』1979年、白凰社)

文化遺産オンライン より

この絵は、細部にわたる着物の柄や生地の質感にまでこだわり、色彩の繊細さとともに、日本画の伝統的技法を用いた美しい表現が見られます。

作品には、清澄な色調が使われ、物語の一場面を静かに、しかしドラマティックに描いています。

  • 清らかな水辺に白い砂浜、白い花を咲かせた桜の木、淡青の蝶の図柄の白い幕に、鳥や花模様の羽織、赤香色の敷物の上の漆塗りの重箱などがあります。

    春の日の清新で穏やかな風光明媚な景色の中、華やかなお花見が開催されている模様です。
  • その中でただ一人、思い煩う女性の姿が伝わってきます。
  • を基調とした牡丹の花柄の着物、帯は古代紫色の地に花七宝(この模様は七宝の中に花菱)の柄と紋、これら身に付けているものから女性は富貴な家柄であるという事が示されています。

    と同時に、この女性の内に秘めた情熱や恋心を静かに表現しています。

清方の作品は、日本の美意識と情緒を感じさせる繊細さを持ち、観る者をその世界観へと誘います。

この作品の初見では、清らかで美しい景色が印象的です。

しかし、背後にある物語の内容と女性の感情を知ることで、作品の持つ深みや複雑さがより鮮明になります。

アクセス

葉山館

住 所:〒240-0111 神奈川県三浦郡葉山町一色2208−1

鎌倉別館

〒248-0005 神奈川県鎌倉市雪ノ下2丁目8−1 神奈川県立近代美術館鎌倉別館

利用案内

※葉山館、鎌倉別館共通

開館時間

午前9時30分〜午後5時(入場は午後4時30分まで)

休館日

月曜日(ただし祝日および振替休日の場合は開館)
展示替期間
(葉山館:ただしレストランと駐車場は月曜日を除き営業、レストランは観覧券なしで利用できます。)
年末年始(12月29日〜1月3日)

※開館日・時間は展覧会によって異なる場合がございます。

観覧料

企画展の観覧料は展覧会によって異なります。
企画展の観覧券で、同日に限り同時開催のコレクション展も観覧できます。

※詳細はHPをご確認下さい。

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鎌倉市鏑木清方記念美術館

鎌倉市鏑木清方記念美術館 正面玄関

近代日本画の巨匠・鏑木清方の旧居跡に建てられた記念美術館です。

邸宅は、建築家・吉田五十八の設計によるものです。

平成6年(1994年)、清方のご遺族から美術作品や資料、そして土地建物が鎌倉市に寄贈され、その意志を継ぎ、平成10年(1998年)4月に記念美術館として開館しました。

鏑木清方の作品のほか、彼が愛した日本画や洋画、書籍なども展示されており、鏑木清方の画業と人生に触れることができます。

清方は明治11年(1878年)に東京神田で生まれ、幼少期から文芸に親しみ、挿絵画家としてのキャリアをスタートさせました。

後に肉筆画へと転じ、清潔感あふれる女性像や、活気に満ちた庶民の暮らし、文学作品の挿絵などを描いてきました。

鎌倉との縁は昭和21年(1946年)に材木座に住居を構えてから始まり、文化勲章を受章した昭和29年(1954年)から亡くなる昭和47年(1972年)までの間、雪ノ下の画室で作品制作に勤しんでいました。

晩年は「市民の風懐にあそぶ」と自ら表現し、庶民生活を題材にした作品を多く手掛けたことで知られています。

鏑木清方記念美術館は、鶴岡八幡宮まで若宮大路と平行に走る小町通りから入った閑静な住宅街の中にある美術館です。

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コレクション

鏑木清方記念美術館では、鏑木清方の本画や下絵、スケッチ、資料などの他、彼が愛する家族の為に描いた打掛や着物の衣装、収集した日本画や洋画、書籍なども展示されています。

鏑木清方の画業と人生に触れることができます。

鏑木清方記念美術館では、国宝・重要文化財に指定された美人画3部作の下絵を観賞することができます。

下絵で《大川端》という題名は、本画で《浜町河岸》と改められ、美人画3部作の江戸東京の町名を冠したシリーズの完成形となりました。

これらの作品は、画家の緻密な構想と変遷の過程を窺い知ることができる稀有な資料です。
制作の各段階での変更点が、清方の技術と美的感覚の繊細さを物語っています。

画家の制作過程の変遷を追うことで、日本画の美とその時代の風情を新たな視点で再発見することができるでしょう。

作品紹介

朝涼あさすず《鏑木清方》
《朝涼》鏑木清方 1925(大正14)年 絹本着色・軸 219.0 × 83.5(cm)

清方は大正9年(1920)から横浜の金沢に別荘を構えました。
そして当地で過ごすときは、早朝に付近を散歩することを習慣としていました。

夏のある日、白い残月のかかる朝焼けが始まる頃に、長女と連れ立ち歩いた光景から着想し、本作を制作しました。

長女の立ち姿や横顔を何度も写生して本画に臨み、蓮や稲田が続く豊かな自然とともに写実的に表現しています。

大正半ばから風景画に作域をのばし模索していた清方が、「全く自分を取り戻した」と後年に振り返った記念碑的作品です。

鎌倉市鏑木清方記念美術館 HPより

『朝涼』は清方の作品の中でも特に風情があると評され、彼の画に対する深い理解と愛情が感じられる作品として、高く評価されています。

この作品は、朝の光の中で何かを見つめる女性の静謐な姿を捉えています。
その繊細な表情からは、内省と静けさが伝わってきます。

作品全体からは、父親としての清方の目を通して見た娘への深い愛と理解が感じられると同時に、日本画家としての繊細な筆致と色彩の高い熟練度が際立っています。

  • 背景は、朝の空を浅葱色、田園を白群から青緑のグラデーション、おそらく裏彩色で金か金泥を引いて光を表現されている様です。
  • 女性の肌、着物の帯、草履、月、蓮の白は、清らかさを感じます。
  • 女性の長い三つ編みをした髪は黒く艶があり、若さを表現しています。
  • 女性の着物の藤紫色は、上品さと共に、その時代を表しています。
    • 色は、古代から高貴な色と位置付けられており、藤紫色は、明治から大正時代にかけて女性に愛されたと言われています。

おさげ髪の毛先を手で弄る仕草が可愛らしくもあり、大人びている様にも見えます。
そして、視線の先に何を見ているのでしょうか?

清方の娘に対する深い愛情を感じる作品です。

こういう女性像も描いてみたいです。

アクセス

住 所:〒248-0005 神奈川県鎌倉市雪ノ下1丁目5−25

山口蓬春記念館

山口蓬春記念館 HPより

日本画家・山口蓬春(やまぐち ほうしゅん)が晩年を過ごした邸宅を改装した美術館です。

平成2年に山口家から土地、建物、所蔵作品が寄贈され、平成3年に開館しました。

その邸宅は、蓬春の同窓である建築家・吉田五十八によって設計されました。

山口蓬春は、日本画の伝統と西洋美術の技法を融合させた独自の画風で知られています。

  • 山口蓬春は日展で活躍し、日本画の進展に大きく貢献したことで知られ、昭和40年には文化勲章を受章しました。
  • 日本画壇を牽引した彼はまた、古今東西美術の理解や研究のために、長年にわたり美術品を収集しました。

山口蓬春記念館の近隣には、葉山一色海岸があります。
葉山の自然に囲まれたこの地で、山口蓬春の生涯と創作の軌跡に触れることができるでしょう。

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コレクション

山口蓬春記念館は、山口蓬春の作品や収集品のほか、彼が影響を受けた西洋近代美術の版画なども展示されています。
日本画に興味がある方はもちろん、西洋美術や古典美術にも触れることができます。

山口蓬春の歩みと作品の変遷を知ることが出来ます。

作品紹介

扇面流し(せんめんながし)《山口蓬春》
《扇面流し》山口蓬春 1930年(昭和5) 紙本着色/二曲一隻屛風 168.0×170.0(cm)

扇面流し(せんめんながし)」とは、扇が流されている模様の事です。

室町幕府初代将軍足利尊氏が天龍寺へ参詣した折に、供の童子が誤って川に落とした扇がひらひらと舞って川を流れる様子を見て喜んだという逸話から、意匠化したもの。

京都嵐山の車折神社の「三船祭(みふねまつり)」の様子を表した文様。

「三船祭」の由来
宇多天皇が行幸の折に「和歌」「漢詩」「奏楽」に長けたものを三隻の舟に乗せて、御舟遊びされたことから「三船」といわれたのが始まりです。

現代では、五月第三日曜日に嵐山の大堰川に舟を浮かべて、その舟から願い事を書いた扇を十二単姿の女性が流し、奉納者の芸術の上達などを願うお祭りです。

ざ・京都 | 京都観光、案内のポー...
京都の情報発信サイト、ざ・京都。歳時記、行事、まつり、イベント、特別拝観、世界遺産などの情報満載です... ざ・京都は京都の情報を写真とともに発信します。観光や歳時記だけの情報ではなく、グルメやビューティーなど地域情報も満載で、観光客や修学旅行の方のみならず地元京都の...

桃山時代後期(16世紀)に本阿弥光悦と俵屋宗達が創始し、江戸時代には尾形光琳らが織りなした琳派芸術――。

やまと絵を基盤とした豊かな色彩と斬新な装飾性に富む造形は後世の人々をも魅了し、その脈々たる流れは、近現代の美術にも受け継がれています。

山口蓬春は、やまと絵の伝統を学ぶ過程において、琳派の造形感覚に深い共感を寄せました。

蓬春の師匠、松岡映丘の主宰する「新興大和絵会展」に発表した《扇面流し》(昭和5年〔1930〕)は、やまと絵の濃彩色で描かれた扇面画が屛風に貼り交ぜられた優品であり、渾身の作ともいえるでしょう。

また古美術のコレクターとしても知られていた蓬春はその画業に資するべく、俵屋宗達《伊勢物語図色紙》、尾形光琳《飛鴨図》といった琳派の名品を蒐集し、その作風を偲んでいました。

山口蓬春記念館 HPより

この作品には、扇と川の早い流れに乗って白い水飛沫がキラキラと舞う様子が描かれています。
また、扇の図柄を鮮やかに繊細に描いてあります。

  • 色鮮やかな扇の背景の川の色は、扇を引き立てる川砂の混じる色から遠景になるにつれて薄い黄色(金色)のグラデーション、白い水飛沫や流れの線が川の透明感を表しています。
  • 扇は、黄色(金箔?)緑青群青と色鮮やかな扇ですが、中心に配置されているのは、骨が朱色の扇や白地に紅梅の絵が描かれた扇です。
  • それにより、川の流れの方向を表しています。

雅で美しい扇面流しの様子が伝わります。

また、由来の一つである「三船祭」が奉納者の芸術の上達などを願うお祭りである事が、蓬春の思いであるとも感じます。

まり藻と花、紫陽花《山口蓬春 》
まり藻と花紫陽花
この作品は、テーブル、水槽、まり藻、花瓶、紫陽花が全て円形で、構図を意識的に画面構成されたことが伺えます。

紺藍の背景にブルーグレーのテーブル、その上に透明なガラスの水槽の中に浮かぶのまり藻、色の花瓶に生けられた3本の薄紫薄青の紫陽花が視覚的な調和と統一感を表しています。

光が一番当たっている紫陽花と隣のガラスの水槽の反射光は明るく白く、その他背景の色は暗く濃い色にされています。

光と影の対比を通じて紫陽花の存在感を高めています。

構図を意識的に画面構成した作品の例
リンゴとオレンジのある静物」(1899年)《ポール・セザンヌ》は、対象をあらゆる視点から観察し、再構築したことで、対象がより真実に近く、美しい形で表現された作品です。
この作品は、紫陽花を対角線上に配置する事で、紫陽花の咲く道を想像させる効果をもたらしています。

その絵の中を歩いている様な感覚になります。

背景は灰緑色(千草鼠や青磁鼠)で、梅雨の時期の湿り気を感じさせ、濃いの紫陽花の葉の色で明暗と緑系の色のグラデーションを形成しています。

絵の主役に当たる紫陽花は、背景や葉の色と補色関係に当たる明るい赤紫色とそれに誘うように陰色で青く薄紫の紫陽花が色彩のグラデーションで配置されています。

それぞれがお互いを引き立て合うような配色で、色彩が持つ調和とバランスの良さが自然の美しさを強調しています。

見ていて心地良い作品です。

紫陽花は、蓬春が好んで描いた花の一つで、紫陽花をモチーフとした作品は複数存在しています。

山口蓬春は、戦前から新日本画創造に取り組んできました。
戦後、東洋画の素養を基に近代西欧美術の作風を意識した明るいモダンな表現が顕著となります。

それが「蓬春モダニズム」と称される世界です。

そして、昭和30年以降、対象に内在する美を追求しました。
そしてこの取り組みは、後年の格調高い作風に至る蓬春の画業の中でも重要な位置を占めるものと推測できます。

蓬春は著書の中で

いつの時代にも、新しい日本画の創造と言うことを心掛けて、果敢に前進しようする作家が居なければ、藝術は進展しないのである。
時代や社会は常に進み動いて居るのであるから。

と述べているように、現状に甘んじることなく、常に新しい日本画の創造に取り組んでいったのです。

山口蓬春記念館 HPより

蓬春の描く「紫陽花」の初見は、ここに掲載している作品とは別でしたが、岩絵具の美しさを最大限に活かされた作品に一目惚れしました。

色彩の発色が素晴らしく、濁りがない上に、画面内で本当に美しい紫陽花を咲かせています。

アクセス

住 所:〒240-0111 神奈川県三浦郡葉山町一色2320

ポーラ美術館

ポーラ美術館は、2002年に開館しました。

箱根の自然と美術の共生」というコンセプトを掲げています。

  • B2階から地上2階まで、美術館の中心を貫いたアトリウムロビーは、つねに自然光が降り注いでいます。
  • 南側の壁一面には、高さ20mの「光壁」が立ち、一日の光の差し込み方の様々な表情が見られます。
  • 展示室では、作品一つ一つを最適な照明で美しく照らし出しています。

「風の遊ぶ散歩道」など、自然そのものも展示空間として活用されており、森がもう一つのギャラリーとなっています。

建築設計は、(株)日建設計によるものです。

ポーラ美術館は、富士箱根伊豆国立公園内、神奈川県の箱根・仙石原にある美術館です。
都市の美術館では味わえない静寂と美の共存を体験できます。

箱根ナビ
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コレクション

ポーラ美術館のコレクションは、ポーラ創業家二代目鈴木常司氏が40年以上の歳月をかけて、約10,000点を収集したものです。

ポーラ美術館では、西洋絵画から東洋の陶磁、ガラス工芸、化粧道具に至るまで幅広いジャンルを展示しています。

ポーラ美術館
コレクション | ポーラ美術館 ポーラ美術館の公式サイト。箱根、仙石原に2002年開館。印象派など西洋絵画を中心に約1万点を収蔵。企画展、常設展を開催。

その中で日本画コレクションは、戦後の日本画を中心に約160点から成り、日本画の新しい境地を開いた画家たちの作品が集められています。

このコレクションの核となるのは、日本画壇の頂点に立った画家たちの作品であり、それによって近代日本画の発展をたどることができます。

また、伝統に囚われることなく新たなスタイルを築いた画家たちの作品も収集されています。

  • 横山大観は伝統的な線描を廃し、「朦朧体」を用いて日本画の新たな方向性を示しました。
  • 小林古径、安田靫彦、前田青邨は日本美術院展で新しい歴史画を描き、「新古典主義」を築き上げました。
  • また、杉山寧、髙山辰雄、山本丘人は「新日本画の創作」を目指し、「瑠爽画社」を結成し、大和絵の伝統からの脱却を試みました。

杉山 寧(すぎやま やすし)(1909(明治42)- 1993(平成5)) の43点におよぶコレクションは国内でも最大級であり、その規模と質において特筆すべき存在です。

これらの作品群を通じて、ポーラ美術館の日本画コレクションは、日本画が持つ伝統的な美しさと、時代を超えて進化を遂げた近代日本画の精神を、訪れる人々に伝え続けています。

作品紹介

水《杉山 寧》
《水》杉山寧 1965(昭和40)年 麻布彩色/額装 147.3 x 227.3(cm) ポーラ美術館蔵 杉山寧 HPより

杉山 寧は1962年(昭和37年)にエジプトを旅行し、翌年の日展にはエジプトをモティーフとした作品を多く出品しています。

この作品は、その旅行から3年後に制作され、第8回日展に出品されました。

横2メートルにもおよぶ画面は、全体が砂漠の国エジプトを思わせるザラザラとした絵肌で仕上げられています。

杉山寧は、この特殊な質感を実現するために、伝統的な日本画で用いる絹本や紙ではなく、洋画に用いる麻布(キャンバス)を支持体に選択しています。

水瓶を頭にのせた黒衣の女性の後ろを流れる大きな青い背景はナイル川でしょうか。

エジプトの取材の中で見出したものは、巨大なピラミッドやスフィンクスだけではなく、日常を生きる人間の姿だったのです。

ポーラ美術館 HPより

杉山 寧は、1950年代後半以降、油彩のような凹凸を日本画材で実現するため、支持体を和紙や絹本から麻布(キャンバス)に、岩絵具に砂や接着剤を混ぜたりして「厚塗りのマチエール(絵肌)」に晩年までこだわり続けました。

  • 「背景の明度を暗くして、人物の顔に光を当ててフォーカスする」描き方は、西洋画にみられる描き方です。
  • 群青色の背景に細やかな暖色のニュアンスを加え、水面が太陽の光を受けてきらめく様子を繊細に表現しています。
    • その川の煌めきが、水瓶を運んでいる女性の日常の尊さを表している様です。
  • 女性のシルエットは、黒い衣装に包まれ、イスラムの伝統的な装いを想起させますが、その静謐な姿からは、土地の文化や日常生活への敬意が感じられます。
  • 彼女が持ち上げる土色の水瓶は、生命の源である水への賛歌であり、周囲の自然と調和しています。
  • 画面の上下に配された茶色の帯や白い光の筋は、砂と水、土と生命を象徴し、見る者に自然のサイクルとその中で生きる人々の営みを思索させます。
  • 限られた色彩で描かれたこの作品は、シンプルでありながら、見る者の心に深く残る印象を与えます。

岩絵具は、番手が小さい程荒く鮮やかな発色が特徴です。
杉山 寧は、それを最適化するために洋画の技法を取り入れて描きました。

伝統と革新を融合した作品です。

薫《杉山 寧》
《薫》杉山寧1975(昭和50)年 紙本彩色/額装78.6 x 103.3 cmポーラ美術館蔵 家庭画報.comより

この作品は、孔雀の鮮やかな色合いと生き生きとした姿勢が特徴です。

タイトルの《薫》には、良い香りを放つ草(香草)や、心地よい香りがする(かおる)、いぶす(薫製)、人を感化する(薫陶)といった複数の意味があります。

《薫》
読み:【音読み】クン【訓読み】かおる)
意味:①かおりぐさ。香草の名。特有の香りがある。 ②かおる。よいかおり。「薫風」「芳薫」「余薫」 ③いぶす。くすべる。「薫製」 ④人を感化する。「薫育」「薫陶」「薫化」

これらの意味合いは、孔雀の鮮やかな飾り羽が放つ光彩と、作品全体から漂う洗練された美しさを象徴しています。

画面の中で孔雀が大きく羽を広げ切ってこちらに歩み寄る様は、過去作《孔雀》と比較してより積極的で能動的な行動をとる姿勢を示しており、見る者に強い印象を与えます。

  • 白に近い銀鼠等の薄いグレーの背景は、色鮮やかな羽の孔雀の姿を引き立てます。
  • 《薫》は逆光で描かれています。それにより、孔雀からオーラが放たれている様に見えます。
  • 《薫》では、孔雀本体をクローズアップした画面構成、様々な孔雀の持つ色彩を配色することにより、写実を超えた孔雀本来の姿が描かれているようです。

この作品は、視覚的な美しさだけでなく、香りや感化といった無形の要素を視覚化することに成功していると言えるでしょう。

孔雀の羽に見られる青みがかった鮮やかな緑色を「ピーコックグリーン(peacock green)」青色を「ピーコックブルー(peacock blue)」といい、明治期に西洋から伝わった色名です。

それらは和訳で「孔雀緑(くじゃくみどり)」「孔雀青(くじゃくあお)」と呼ばれています。

画面上部で力強い円形を描く飾り羽の形や、同じく飾り羽にみられる緑から青や紫へのグラデーションは、この孔雀が単に写実的に描かれたのではないことを示しています。

本作品の類作である東京国立近代美術館の《孔雀》(1956年)の制作時に、杉山は、特別に孔雀を描こうとしたわけではなく、半円形による空間の構成を試みようとして、たまたま孔雀に思い当たったと語っています。

《孔雀》より孔雀本体をクローズアップし、飾り羽の形もより円形に近く描いた本作品においても、孔雀の形態を借りて、いかに画面を構成するかに心を砕いた杉山の試みがうかがわれます。

ポーラ美術館 HPより
《孔雀》1956(昭和31)年 彩色・紙本・額 183.5×152.5(cm)国立近代美術館蔵 杉山寧 HPより

《薫》は、《孔雀》と見比べて、とても色彩豊かな作品です。

実際の孔雀の飾り羽の色は、それぞれの個体差で緑、青、紫系統の色を持っています。

この作品は、それらを合わせて孔雀の象徴的な姿を描かれた様に思います。

杉山寧は、《薫》から6年後、《妝》という白い孔雀を描いた作品を発表しています。

《妝》(音読み: ソウ・ ショウ; 訓読み: よそおう・ よそおい)

羽を閉じた白い孔雀の後ろ姿が、深い群青と黒の抽象的な模様が描かれている背景に描かれています。

《妝》は、深い静寂と内省の世界を白い孔雀の静謐な姿で表現した作品です。

孔雀の純白が、背景の深い群青や黒と対比されることで、その輝きはさらに際立ち、背後に広がる模様が孔雀の神秘性を強調しています。

背景の抽象的な模様は何を表しているのでしょうか?

この作品は、彼の前作《薫》とは異なるアプローチで、孔雀の美しさとその象徴性を捉え直し、観る者に内面の探求を促します。

《妝》の配色構成は、先にご紹介した杉山寧の作品《水》との連続性を感じさせ、過去と現在、そして自然と抽象の対話を描いています。

見る者に深い印象を残すこの作品は、杉山寧が追求した美の本質を反映しています。

杉山寧(1909(明治42)― 1993(平成5)年)

東京 浅草生

1928(昭和3)年 東京美術学校日本画科入学
圧倒的なデッサン力で頭角を現し、在学中に帝展(帝国美術院展覧会)で特選受賞

首席で卒業した後は、若い画家たちと瑠爽画社(るそうがしゃ)結成
新しい日本画の創造に励みつつ、日展へ出品。

1960(昭和35)年以降、抽象表現へ。
・洋画で使うカンヴァス(麻布)を支持体とし、岩絵具に細かい砂などを混ぜて、厚塗りのざらざらとした質感を追究。
・色面構成のように抽象的なモチーフを組み合わせた背景に、細密に描写した花鳥を配置する独自の画風を打ち立てる。
・抽象と写実を融合した二重構造による新たな作品世界は、「造形主義」と評される。

1962(昭和37)年、初めての海外旅行で、エジプトおよびヨーロッパ各地を巡回。

その後も中近東を好んで訪れ、ピラミッドやスフィンクス、民族衣装をまとった女性など、旅先で心打たれたモティーフを描いた作品を多く発表。

戦後の日本画に新しい領域を切り開きました。

1970(昭和45)年 日本芸術院会員
1974(昭和49)年 文化勲章受章

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住 所:〒250-0631 神奈川県足柄下郡箱根町仙石原 小塚山1285

髙橋 友美 Yumi Takahashi
日本画家 Nihonga Artist
日本画情景 - Scenes Art -
この言葉に相応しい絵を描くことをテーマにしています。

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